2014年10月13日(八段語録2190)
子供の教育の重要性

 このような「核家族」になっている昨今、子供を教育できる教本がないのです。昔ならば、祖父や祖母に、子育ての仕方を教えてもらう環境圏はあったのですが、なかなか難しい社会になっているのです。もちろん、そこで登場するのが倫理道徳の基本を指導できる極真空手どう事になるのです。どの家庭でも、良き教育をいつするのでしょうか。これが、親の願いになることなのです。次に、家庭において、愛情あふれる家庭を作っていけるかというと、これまた厳しいものがあります。そして、どのように生きるべきかという教本を書く家庭が作ることができない現実にあるのです。もちろん、夫婦のあり方の教材もないので、平気で離婚するような世間になっているのです。さらには、夫婦になってその父母はどうあるべきかという伝統的な教材も作られていないのです。
 私の主張することは、人間の理想は家庭単位であるということです。家庭が安定していないと、子供に影響を与えます。そのような意味では、家庭が礎であると言えるのです。人口の多い都会に住んでいようが、家庭がしっかりしていれば、教育に関して、鬼に金棒です。子供は正しく育つのです。ですから、子供にとって家庭において教本通りに教育を受けたという、そのような心を持たせなければならないのです。そのための、サポートが極真精神であり、空手であるのです。また、子育てを終えた私の体験でもあるのです。
 しかしながら、多くの家庭において教本がないのです。子供は体験もできないのです。教本を持っているとしたならば、どのように生きたらよいかという方法が分かるので、人格としての合格者になることができるというのです。良き教本を持って教育されたとおりに生きれば、どこに行こうと国境がなく、遮るものがないのです。私は、今までの子育て経験を通じて、教本のようなブログを書いてきました。それは、私が闘って勝負してきた教本であり、子育てや、家庭生活の全てを余すことなく書き記してきたのです。もう十年以上の歳月は立っているのです。まだまだ不十分ですが、しかし、幼い子供を育て上げてきた黄金律がにじみ出ていると思うのです。参考になるし、教本になると思うのです。
 私の家庭は、振り返ってみれば、様々な事件事故が、重なるように続いたのです。そして、そのことによって、子供を養育するようにしたのです。そのような意味では、再創造のような、過程を通ったということです。試行錯誤しながら、歩んでいました。それが、ここに書かれているブログそのものなのです。もちろん、私が正しい道さえ掴んでいれば、子供に教育の必要は無いようにも思えたのです。自然に良き方向に行くのでした。そのような意味では、いくら社会で頑張っていても、家庭ができていなければ駄目であるという話です。