2014年10月11日(八段語録2187)
極真空手の実践原理と教育目標

 私が道場生を育てたと同じように、指導者の皆さんも昼夜空手道を追求して、自分の子供は、もとより、道場生を育てなければならないのです。自分の子供をよく教えるためには、訓練をして、勉強もしなければなりません。それだけでなく、子供を指導者にしようとすれば、親の心情や師の心情、そして極真の神髄を極め、指導者としての所有権を継承させてやらなければならないのです。つまり、道場に入門して、生まれ変わり、教育を受けて完成するのです。成長すればすべての事が分かるようになり、私も指導者に立ちたいと思うようになります。そして、全て相続するのです。
 さて、当然生んだのは親ですが、育てるのは師であり、立てて上げるのは主人です。これはどこで語る言葉であるかというと、世界に向けて語るのではなく、あくまでも道場で語る言葉なのです。親は本当ならば、親であると同時に、育ててあげる師であり、主人なのです。それがオールマイティーに出来れば越したことはないのですが、それが時間的にも余裕がないので、養育係として極真の指導者が立っているという事を忘れてはならないのです。その教育は、空手の技術だけに留まることではなく、子女教育を実践し、全体統一の基本である良き家庭を形成しなければならないというのが、このグループの主張なのです。
 ところで、指導者という存在は、親の延長なのです。当然師でもあり、主人として指導するのです。これが、根底にある思想なのです。親であり師であり主人という考え方が、この道場から取り除くとしても取り除くことができない考え方なのです。子供は、家庭で教育を受け、道場で教育をうけ、社会で教育を受けるという事になるのです。世間的に見て、この国にそのような教育をするようにはなっていないのです。教育委員会が進めている教育的体制は、分裂して推し進めているように思えるのです。親は親の思うまま、師は師の思うまま、国は国の思うまま、自分勝手に分かれて、まとまりのない教育になっているのです。つながりがないので、子供も分裂気味になるのは当たり前のことになるのです。
 それを、一致させようという構想と理想を持って、社会に顕現しているのが、この道場であり、親と師と国を一致させて、子供を逞しい未来を背負える人材にしようとするのです。これが極真会館宮城県本部が掲げる最高の実践原理であり教育目標なのです。それは第一に、初心者として道場に通うとするならば、まず空手道が何たるかを知っていくということです。第二に空手道を通じて自分を明確に知ることです。第三に、空手道と自分が一つになり、本人が成し遂げようとする理想を要として、重要な大目標と関係を結ばせ、道場での修練の意味を明確にするのです。真の教育とはこの目標を実践するところにあると教えるだけなのです。