2014年10月11日(八段語録2186)
道場生の教育
道場生を立派に育てなければなりません。これが教育の目標です。何でも出来て、生命力のある人、能力の豊かな人という事ではないのです。あくまでの、愛情のこもった人格を育てるということなのです。道場生を立派にするという事は、間違いなく道場では、武道教育が必要であるというのです。この教育に関しては、いかなる宗教、いかなる哲学、いかなる偉人も、その武道教育の内容に到達できるものではないのです。あくまでも、武道である極真空手を通じてということなのです。道場生を育てるという事は、間違いなく教育でなければならないのです。
何を持って育てなければならないのでしょうか。人倫道徳を教育するという概念に間違いないのです。はっきりしていることです。極真の武道教育が人倫道徳教育の最高峰であると自負するのです。それだけの実践を積んできたのです。この道場で誰もが、武道教育の学びの道、あるいは教育の道に従うように指導するのです。その目的な一体何であるかというならば、より極真の世界に邁進するためなのです。それはより価値のある内容を備えているのです。ですから、より高い極真精神を身に着け、前進を誓うのは、より価値ある中心と一致するためなのです。そのような目的追求の道を行くということです。
ところで、武道教育の中で、最高の教育とは一体何でしょうか。理想の版図となる起源が家庭であるということは、手塚会長が語るまでもないのです。家庭で教育する能力が、今の親には、忙しすぎて、難しいこともあるので、ここに登場するのが道理を教えていける極真精神であるというのです。そして師範が親となり師となって、あるいは全権を振るう王となって教育するのです。ですから、規模は大きな国の版図を代表しているという自覚は必要になってきます。その標本となるモデルを原則として教育する内容を持って闘っているのが師範なのです。
結果、より大きなものの為に生きるようになれば、より価値の小さなものは、価値に吸収されるのが天理の道理なのです。したがって、トラブルはなるべく避けるべきです。確かに問題を指摘して正すことも必要ですが、その時は、親になって師となって正すべきです。本を持って檀上で教えることだけが教育ではなく、一つの言葉、一つの行動すべてが教育なのです。そのような問題において、私の日常生活のすべてが教育の生活圏を形成し、その生活圏自体が全ての人に刺激的な影響を与えるのです。教育強化の実効性を私の生活を通して連結させていけば、そこから社会が発展していくのです。つまり世界の新しい希望がその場から広がるのです。