2014年10月9日(八段語録2184)
理想的な師弟関係

 子供を産み育てた私のような親はわかるでしょう。大切に可愛がっている子供が幸せの原点なのです。そして、親の持っているものをすべて継承させたいという気持ちになるのです。そのような子供を永遠に活躍させてあげたいというのが親であり、子供が美しく育ち、多くの人から尊敬され、世代を超えて称賛される子供になることを願っているのです。昼も夜も子供が傷つきはしないかと保護し、切ない心情で気をもむのが親なのです。
 また子供がウンチをして臭いがしても、その環境にとらわれないのが親です。私も寝床で子守唄を歌ってあげ、話もしてあげ、すくすくと育つことを願う心は、親ならば誰でも分かることです。いくら愚かで不足な子供でも、その子供の足らないところがあるならば、親の胸がいっぱいに、なるほどの最高の苦痛を感じるのであり、これが解放されなければ、その苦痛に反比例して喜びを感じとれるのです。
 ところで、道場には師弟関係が師範と道場生の間にあります。この関係は、力関係では一つになることはできなのです。力の強さで一つになるとするならば、その世界はいつも力が強い人が支配するようになります。しかし、師弟関係は、力関係だけではないのです。愛情が子供と同じように注がれているという事になるのです。師が愛情を抱いているときには、弟子に与えなければならないのです。愛情の大きな人が、弟子の為に生きなければならないのです。
 つまり、上にいる人が下の為に生きなければならないということです。管理するのではなく、ために生きて一つにするのです。ですから、師がじっとしていれば、弟子が来て、師の懐に駆け寄りたいと思うのです。それは、愛情のみ可能なのです。師がいくら困難で苦痛を感じていたとしても、愛する弟子が師の懐に抱かれると分かればわかるほど、師は力が出るのです。つまり、反対の力が生じるのです。そこからは喜びが出てくるようになるのです。疲れ果てていても、弟子の思いに答えようと力が生まれてくるのです。
 私も、自分が頑張ってきた人生を誇るのですが、弟子が、他の先生方から評価されたならば、私を誇ってきた以上に、何千倍もうれしく思うのです。ただうれしく、どうしていいかわからないのです。これが師の気持ちなのです。例えば、私が素晴らしく、弟子が師より劣るとするならば、その道場は滅びます。師が立派で、弟子がそれ以下であるとするならば、だんだんとその道場は衰退していくのです。最後には、恥ずかしくて穴があれば入りたいような身の上になるのです。いま、そのような道場にはなっていないのです。私よりも遥かに、弟子が優秀になっている道場なのです。それが私の誇りなのです。