2014年10月8日(八段語録2182)
極真空手修行の目的(4)

 極真会館宮城県本部が、これから発展するためには、市民権を得ていかなければならないのです。今までは、象徴的な市民権であったし、確固として確立した、極真王国ではなかったのです。そのような意味では、国を打ち立てるような覚悟は必要になってきます。主権は責任ある道場生ということです。そして民は当然、道場生であり、国土は、本部道場を初め、常設道場という事になるのです。すなわち、主権・国民・国土が一致するようなレベルまで上げなければならないということです。もちろん、道場に通うようになった立場は、ただそのままの習慣的な生活を通して、得ることができるのではないのです。道場生として初心の立場に立って、努力することが必要であり、ゼロ地点に帰らなければならないということです。
 道場を維持していくという事は、ほんとに大変な事です。そのように言ったとしても、道場生の修練を模索しなければならないのです。そして、その模索は、道場生と共にあるのです。道場生と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらす事ができるのです。もちろん、原則も重要ですが、情緒的な内容を整えていかなければならないのです。理想的な本来的な道場の姿を模索する限り、主権は続くのです。そして、道場は保護されるのです。木が春になって新芽をだし、夏と秋の三つに連結されなければ、身を結ばないと同じように、道場生を守り抜くためにも市民権は必要なのです。主権と民と国土は連結されているように、そのような相似形を見出すためにも、市民権は必要なのです。
 ところで、このような内容を個人のレベルに合わせると、一心、一体、一念という事になるのです。このような公法、天理の原則に従って、理想的な考え方に一致できる基本的な姿勢を備えて、評価しながら、生きようとするのが、責任あるもの姿という事になります。極真会館宮城県本部を守るという事は、たくさんの困難を経験しなければならないのです。困難にぶつかる人が師範になり、責任者になります。どんなことがあっても、変わらない人が、最後は勝利者になるのです。絶対に変わらず、逃げない人に前に、誰もがひざまずいて、屈服するのです。
 結局、極真会館には、金塊を中心として喜べるようなところではないのです。それを全体の恩恵に変えてこそ、調和するのです。もちろん、お金を中心に分けようとするならば分裂が起こります。しかし、修練を持って分配するならば、和合ができ、平和が宿るのです。当然、不和によって出発するならば、どこに行っても不和になるのです。指導者は、自分の心を管理しなければならないのです。師範がいる目的はそこにあるのです。師範が構想される目的は、一つになるためです。そのような意味では。新しい、作用体として極真会館が市民権を得て、公認されていく道が、今歩んでいる道なのです。