2014年10月7日(八段語録2179)
極真空手修行の目的
極真空手の目的は、自己完成と良き家庭を形成することです。自分を磨いて、家庭形成により、世界を見渡せる能力を作るということです。そして、未来の世界を包容するのです。自分自身を完成させるという事は、自由になるという事に通じるのです。さらに、世間に良い影響を与えていく協力者になろうというのです。そのようして、自分の意識を社会に目を向けて、無限に拡大すると、少しでも良い世界を願うし、自らの環境が良い方向に向かっていくのです。そのような生き方が、極真空手の生き方であり、武道を中心とした、社会に影響を与える良き目的であるという事なのです。
極真空手の目的を推進していくと、私の経験では、私の空手人生に必要であったのが妻でした。それは、私の人生の完成には、妻がいなければならなかったというのが実感でした。この道を歩む中でも、夫婦が半分ずつ、互いに協力したので、今日までの歩みができたということです。二人が互いの為に生きてきたので、空手人生に悔いを残すことなく今まで歩んでこられたのです。そう考えると、妻は私に空手道を通じた人生を完成させ、私は妻を大切にしたという事になるのです。そして、私の妻は、私よりも何千倍、何万倍優れているという実感をするのです。当然、無限億倍の価値を持っていると思えるのです。このような事を思えるのです。それは、天地の原則のような気がします。
ところで、それでは、極真空手の目的という事を考えると、結果として、私の場合、妻と結婚したということであり、続けてこられたという事が、家庭が充実したのであり、空手を通じて、自分の子供達を愛さざるを得なかったということなのです。そのような意味では、人生の偉業を、空手道を通じて達成できたという事のようなのです。そのような意味では、極真空手の価値を知らなければならないということです。私の生涯で、極真空手を続けてこられたのは、妻のおかげであり、その極真空手が、夫婦を、親子を、家庭を充実させてくれたということなのです。
結論として、極真空手は、私に対する最も貴い贈り物であったのです。家庭を備えることができ、当たり前の人生を充実させてくれたのでした。空手を実践できたがゆえに、愛情の相対である、妻を探すことができたし、家庭のため、子孫の為に、子供を授かることができたのです。まさに家庭を成立させたということです。もし、私に極真空手がなかったならば、互いに他の事を考えて、結局は妻を蹂躙するだけだったかもしれないのです。それこそ、熟年離婚のような事が起こったのかもしれないのです。そんなことを考えても、素晴らしい空手道という武道に出会ったという事に感謝です。