2014年10月6日(八段語録2177)
思春期の対する親の心構え
目標を、道場生が、自分で設定させることが必要な時です。最も極真空手を学んでいるのですから、極真精神が宿り、その内容を会得することを願うのです。思春期に差し掛かると、少年時代と違った感情と肉体になります。親としてもこの頃の、自分を振り返っていくならば、情熱が最高潮に燃え上がった経験があるのではないかと思うのです。その時に、初恋をしたり、絵を描いたり詩を書いたりしたことがあるのかもしれません。その時の絵は、驚くほどの絵であり、詩を書くならば、燃えたぎるような詩を書くのだと思うのです。そのような意味では、素晴らしいお子さんを、産み落とし、育てているという事に充実感を持つのではないかと思うのです。
そして、親の目標通りに成熟することを待ち望むのですが、子供が成熟すればするほど、自分を中心としてあらゆることを考える時期になるのです。このように思春期の時は、反発するような時期にもなるのです。自分を分かってくれなければ、いくらでも他の道に行きかねないのです。ですから、思春期の時にいかなる教育ができるかという事が、大きな問題になるのです。思春期の時は、どんなことでも自分を中心としなければ喜びません。しかし、自分と関係を結んだ時には、それがいくら微小なものだとしても、うれしくなります。
特に、思春期の女の子は、訳もなく笑います。秋に葉がみな落ちた柿の木から、熟した柿がぽとりと落ちるのを見ても笑います。それは、訳もなくということなのです。それは、全てのものが、自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。したがって、思春期というものは、あらゆるものに接して、縁を結ぶことができる転換点なのです。もちろん、男女の間の会話にも弾むし、胸がどきどきするような時期なのです。そして、興奮するようになれば、心臓に変化をもたらすのです。
この時に、親を中心としなければ、とんでもない事件が起こります。親を中心に心が通ずる関係を形成しなければ、横の情は流れて大変な事になってしまうのです。このような時期に、子供は、理想と希望を持たなければならないので、極真空手の役割は大きくなるといっても過言でないのです。子供にとって、最高に幸福感を感じるのは、人倫と人情が一つに一致するときです。とにかく、この思春期は、最初に表現したように、初恋をしたり、詩人になったり、画家になったり、世界を引き込んで自分の胸に詰め込みたいと思い、大海を抱いて歩きたいと思うのです。それゆえに、良い時期を迎えることができるかどうかは、親の姿勢にかかっているのです。ここで、消耗してしまうと、愛情が帰ってくることなく、悩みのどん底に埋没してしまうのです。そのような意味でも、しっかりと、極真の指導に委ねて欲しいと思うのです。