2014年9月23日(八段語録2125)
武道と、たしなむ精神姿勢
極真空手を実践するという事は、一言でいうならば、武道精神で社会に貢献するということです。人が自分の為に与えてくれることを願う前に、まず、どのようにしたら社会に役立つかを考える人です。そして、社会貢献していることさえも、忘れているという生き方です。社会貢献といっても何かを期待する生き方ではなく、貢献しても、もっと多くを与えることができるかという事を、心を痛めて生きる生き方であるというのです。そこにおいては、何を投入しても考えず、惜しまず、何を投入したかも忘れて記憶にも残っていないような生き方であろうと思うのです。
ということは、自分が獲得した空手の技術があれば、それを指導し、道場生全体に反映したいという気持ちになれる人を願うのです。つまり、影響を及ぼさなければならないということです。影響を及ぼすという事は、最も大切にしているものを、無条件で与えていくということなのです。自分を中心として、行動すると、嫌なものまで目につくでしょうが、全体の為に行動しようすると、好感が持てますし、発展をもたらすのです。そのような生き方は、誰もが門を開いて歓迎するのです。このような、発想は、何の精神も持っていない人にはできないのです。あくまでも、極真空手道で培った武道精神が養われてあればこそできるのです。
ところで、このように自分の為に誰かが、一生懸命に尽くして、精いっぱい指導してくれたならば、本心が恩を返すために、中途半端に返したいと思うでしょうか。それとも、全身全霊返したいと思うでしょうか。誰でももっと返したいというのが人間の本心であると思うのです。ここに、本当の、道場での仲間同士の関係や、師弟の関係が生まれてくるのです。このような事でなければ、発展や繁栄は広がらないのです。それは、一つのモデルが、中心の四方へ三百六十度同じ度数で分けられるようなものです。そこには境界線もなく、平等、平和また自由であるというのです。
こんなことを書けるのは、還暦を過ぎたからということもあるのです。若かりし青春時代はどうであったかと振り返ると、自己中心主義もいいところで、他の人など目に入らなかったのです。これも年の功なのかもしれません。結果、どうであったかというと、青春時代は、大分回り道をしたような気がします。多くの人の助けを借りれば、もっと楽に過ごせたのではないかと思うと、今の歳の精神構造があったならば、後悔してしまうのも、これまた人生であると思っています。