2014年9月21日(八段語録2123)

秩序ある指導者になろう


 指導者で、鼻持ちならなくなるのは、自由意思によってではなく、自体自覚によって起こるのです。環境的にどのような版図になっているかを忘れ、自分だけを中心として自体自覚をするのです。全体が調和するのを無視し、全体の主体と対象の連体的関係を無視し、個人の野望だけにおいて、連体関係の理想を占領しようとするので、盗賊であるというのです。何かの団体にこじつけて、自分を中心に垣根を抜け出して支配したいという事は、全体の空手道団体までも無視して、巻き込んでいくという事になるのです。各流派には、その流派の師範がいるではないかということです。その自尊心までも無視するような、こじつけの練習は認めることはできないのです。
 私は、最近、悪魔の誘惑を退けようとする意識が働いているのです。もちろん、私の心に悪魔が住み着いていることを無視することができないので、しっかりと自己管理をしようとするのです。人が故障すると、悪魔の干渉を免れないということです。つまり、心が病んでいくような現象が起こるのです。何かの団体にこじつけて、他の道場生を何とかしようとする意識は、姦夫の何物でもないということです。したがって、姦夫を許せば、天理の原則に反するために、私としては納得することはできないのです。それゆえに、審判をする必要はあるのです。もちろん、審判は誰を審判するかというならば、人を審判するのではなく、人の心の中のおごり高ぶる傲慢な輩を審判するという事なのです。人を憎まず罪を憎むという事でしょう。
 ある団体のグループの師範であるならば、その指導者の願いに立って動くべきです。私であるならば、手塚会長にお伺いを立てて、あらゆる許可を貰って道場生を指導するのです。このような人が、他の団体の道場生を、どうこうしようという事自体、おかしいことです。本来の師範を追い出すように、道場生を奪い、その親までも引っ張っていくようでは、とんでもないことです。このような事を許せば、世の中すべてを破綻させてしまいます。そもそも、道場の師範というものは、道場生にあらゆる精誠を尽くして、希望あふれた大業を夢見ながら、指導しているはずです。その理想と理念を一時に破綻して滅びるようには指導しないはずです。ましては、無責任に預けてしまうような事はしないと思うのです。
 かつて、私は、ここに恩讐として登場した人物がいました。この人は、「優勝するような選手にする」と確約して、奪っていきました。道場生ではなく、親を誘惑するのですから、どうしようもないのです。私としては、この人物を叩き潰さなければならないのです。私が最も愛した骨の中の骨であり肉の中の肉である道場生を、自分の道場生にしたのです。このような人物の首を切ってしまわなければなりませんか。そのままにして、おかなければなりませんか。このような問題を前にして、苦しんだことがありました。このような、口惜しい、恨めしい事実が、私の道場にあったのです。そのことは、二度と繰り返さないという決意をしているのです。