2014年9月18日(八段語録2120)
武道精神
日本武道の復活を目指しての警鐘を促す闘いをしなければならないということです。あまりにも、日本民族の精神が崩れているという印象を持つ日々であります。高度成長をして、安定経済に入っている状況ですが、人々社会状況を覗くならば、家庭崩壊と地域崩壊が目立ちます。そのような状況は間違っているのです。言い換えれば、秋に良い実を結ぶために、春に種を蒔いたのですが、これが秋まで行くことができず、夏に落ちてしまったということを意味するのです。つまり、成熟した思春期を迎えない未成年の時期で、人としての在り方がわからず、いが栗はいが栗なのですが、中身のないいが栗の姿と同じなのです。
さて、何か日本は、天地の道理の全てを知っているように国として切り開いてきたのですが、多くの過ちを犯してきました。本来ならば、花が咲くときに、その花自体が咲くのではなく、根を通じて咲くのと同じように、日本民族が培ってきた歴史的精神であらゆるものを吸収して理想を完成し、社会をよくなる方向へ向かっていかなければならないのです。全ての過ちを犯すことなく、日本に花咲いたと思うのですが、今は、砂上の楼閣のように思えてならないのです。いつ崩れるか分からない状況にあると感じるのです。ひょっとしたら、同じ太平洋戦争などを仕掛ける国にならないかということも心配です。
果たして日本はどのような国にならなければならないかということですが、日本には、責任があるということです。国が成長して成熟し、世界に目を向けて、侵略戦争をするのではなく、世界に貢献する道を選択したならば、違った国づくりはできたはずです。もし、正しい家庭や地域を積み重ねていったならば、第二次世界大戦のような戦争は起こさなかったかもしれないのです。極真空手という立場からしか、物事を言うことはできないのですが、日本を愛する愛国精神の確立と共に、家庭と地域社会を守るという、精神が願われるという事は間違いないと思うのです。もちろん、世界に貢献するための愛国心という事になります。
今日も良い天気です。夏の終わりにあった、集中豪雨などウソみたいに感じられます。また新しい、日を迎えるにあたり、清々しい日です。昨日、注文していた、プラグアンドハイブリットのプリウスが、取引店に到着していたので、見に行きました。ハイテクの限りを尽くした、芸術作品のように思えました。そして、あらゆる英知を重ねてあることに感動を覚えました。