2014年9月17日(八段語録2119)

私のミッション


 今思うことは、子育てをして、息子・娘を思春期まで、成熟させてみて、本人達がそれぞれの生き方を考えるようになっているようです。この時期は、親も干渉できない本人達が責任を持って人生を切り開く時期のようです。そして、息子は嫁をもらい、娘は、相手を見つける段階に入っているのです。その意味では、子供達は、男性と女性に分かれて、出発しましたが、自らの伴侶を見つけて、家族という新たしい段階に突入するというような時期なのでしょう。人生の中心点が家庭にあるように、尊い中心を求めるように探し求めているようです。そして、家庭を求めていくレベルは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもないのです。お互いが惹かれあって家庭を求めているのです。
 さて、あんなに無邪気に育って子供達が、私と同じ家庭を模索していく姿は、何とも言えない感動を受けます。まさに、息子・娘は天地の核のように圧縮されているような気がするのです。家庭を持つという事は、世間や自然やあらゆる環境が引っかかってきます。そのような、子育ての醍醐味を味わっているのが親の私であるということなのでしょう。振り返って、子育ては、全身全霊愛情を投入し続けました。そして、それは、紛れもない私の人生そのものだったのです。子育てに対する後悔はないのですが、もう少しこうしておけば良かったのではないかと反省は絶えずあるのです。
 ところで、極真会館宮城県本部の創設の動機を振り返ってみると、息子・娘たちの子育てでした。我が子に集まってくれた子供達が、原点になっていたのです。稽古が終わると、我が子を含めて何人かでよく健康ランドに通ったものです。風呂に入って、ゲームセンターで遊んで、夕食をして帰るというコースが続きました。それが、何年も続きました。そして、空手が親子として触れ合う最大の環境であったのでした。それが、創設から十八年たって、子供達が巣立っていこうとしているのです。
 私達夫婦は、もうすでに還暦をお互い超えてしまいました。人生の集大成にあるといっても過言ではないのです。もう青春を始める年ではないのです。最後の飛行の着陸点にもうすぐ到着という事でしょう。ソフトランディングができるように、最後の境地を目指すのです。もちろん、子育てが終わって、夫婦水入らずで、何かを始めるということもあると思いますが、それがまさに第二の人生という事になるのでしょう。それだからと言って、人生の手抜きなどないのです。私の成すべきミッションは続くのです。