2014年9月14日(八段語録2116)
責任ある立場で
責任を持って、極真空手道に励むことが大切です。この意識は、入門して初めて芽生えてくることです。それは、修練を重ねて、極真の道に到着できるからこそ、そう言うのです。逆に言うならば、極真の道を全うするために責任を持てということです。
ところが、変な意識が芽生えて、自己覚醒させるのです。世俗的誘惑が問題です。このことに関して、乗り越えていく道は、極真空手に対する自信と誇りであるということです。そして、あらゆる誘惑を完全否定するところから始まるのです。
さて、極真空手を習熟していけば、あらゆる創造性が芽生え、完成の一途をたどるのです。
言い換えれば、極真空手の完成を体現できるのです。この偉業を、創始者が賦与してくれているのです。ですから、この道を歩む価値はどれ程高貴でしょうか。責任を果たして、極真の血肉を受け継ぎ、極真の伝統の継承者となって歩むことが、大切であるということです。
なぜ、私が極真空手に責任を持てというのでしょうか。それは、私の経験で、どれ程無限な高貴な価値を創始者から賦与されたか計り知れないからなのです。ただ、言われたままに稽古をするという事では、ロボットのような存在にしかならないのです。ある程度稽古を重ねると、私と対話することができるようになります。それと伴って、私の気持ちも汲むようにもなるのです。そうすると、協力者として同等の位置に立つことができるのです。
それが故に、私の前に、堂々と相対的資格を備えた位置で、極真の伝統を築いていく指導者になりうるのです。責任を果たそうとする意欲がなければ、極真の理想を、対等な立場で受けるにふさわしい威信を立てることができないのです。この道で、次の指導者が威信を立てることができるように、「責任を持て」と言うのです。私は、指導者を人形のようにはしたくはないのです。後継者を作ったならば、責任を持つことによって、創設者の権限に同参するのです。
このような発想をするような、指導者は少ないのです。あくまでも自分の利用物のようにしかいしないのであれば、結局は信頼を失って、団体は崩壊の一途をたどるのです。私は、極真を原点として、世界中の人達が、この伝統に立脚して、新たなる人生を創造してほしいと願うのです。そうすることによって、極真空手は永遠に残るのです。また、残ることができる伝統を立てようと日夜頑張っているのが、私の仕事であるという事になります。今日も晴れて、さわやかな秋空になってきています。今日に乾杯です。