2014年9月7日(八段語録2108)

心は私の主人


 心は私の番人になっています。そして、その心が、「私」を守るのです。それが心の使命なのでしょう。しきりに、為に生きるように働きかけてきます。ですから、どれ程疲れていても、意識することができ、社会環境においてすべての制度を分析できる知能が生じたその日から、一生、ついて回るのです。心には、誰もついて来られないのですが、生まれてから死ぬまで、心は「私」に命令をするのです。「体よ、心に似なさい」というのです。つまり、自分自身に偉大なる心という師がいて、心が訓戒するときには、服従することができなければならないのです。
 このような秩序のある環境において、起点となることのできる道義的な結論が、武道教育であることに間違いないのです。このような公式を武道で身につけなさいというのが、私の教育方針であるというのです。口癖に、吉川栄治の宮本武蔵の文章で「神仏は尊べど、されど頼らず」という言葉は、私の座右の銘にするような一句です。自分の心は神様に優るのです。悪いことをしようとするときに、「早くしなさい。」という心の声はありません。悪いことをしようとすると「おい こいつ やめなさい」というのです。心の言葉を絶対に聞かなければならないのです。
 それゆえに、心の命令を中心に考えなければならないのです。いつでも心を見つめて尋ねなさいという事になるのです。師と別れることがあっても、心とは別れることはできないのです。もし心を無視するならば、自分を偽る罪に値するのです。私は良く、心と楽しむ時間を持とうとします。極真の道は、世の中から見るならば、寂しいような立場ですが、それは心と友達になる道でもあるのです。よく私は座って瞑想をするのです。深い境地に至ることがあります。他人のわからない深い世界に入っていくのです。そのようなことが必要なのです。
 結論として、心は「私」の主人であるというのです。また心は私の体の根源なのです。心の価値は、私にとって心がどれ程高価なものか考えてみましょう。心は体が間違ったところへ行こうとすれば、いつでも忠告して、「こうしてはいけない」と制裁を加えるのです。しかし、体はいつも心を攻撃して、無視して、踏みつけて、自分勝手にするのです。