2014年9月6日(八段語録2107)
道場設立の意味
極真会館宮城県本部を創設したという事は、極真空手を学ぶ道場生を多く輩出しようとしたということです。結局のところ、新たな自分の相対存在である師範を作ろうとしているということです。それで、私は今まで投入してきたということです。過去の私を現在の道場生に投影しようとしているのです。そのような創設の作業は、相当な力を投入することになります。力を投入するということですが、どれ程の投入することになるかということです。今まで私が培ってきた全てを投入することであり、当然生命のすべてと愛情の、あらん限りの力を投入するということです。
さて、極真会館宮城県本部を創設する前と、創設した後では、私自身大分違うのです。創設する前は、自分の事を考えていましたが、創設し始めてからは、道場生の為に生きるように転換されたのです。「私」がいるのは自分のためばかりではなく、道場生のためという事になります。今まで私が修行してきた内容が、道場生のためという事を前提にしたという事になります。理想的なこの道場の存在の起源は、私の修行というよりは、道場生の成長の為に生きるという事から始まるようになっているのです。
また、この道場の創設目的は、道場生の成長を見るために創設したのではないのです。あくまでも、愛情を注いていく為に創設したのです。いくら考えてみても、そのように思わざるを得ないのです。言い換えれば、私の経験と愛情があるからこそ、道場生の成長が始まるのであり、結果も、私の愛情が道場生に誘発されるはずなのです。そして、これから新しく生まれてくる指導者は、私と同じ立場に立って、今まで培ってきた創設の偉業を受け継いで、私と良き関係を築いて欲しいものだと思うのです。結局、私と共同歩調を合わせて、発展していく事を願うのです。
ところで、このように育った指導者達は、私の中におり、私は指導者の中にいるという事実を作り上げてきたいのです。それだから、最低の願いは、この神聖な極真空手の神髄に指導者が存在し、絶えず指導者に極真の精神が宿っているという事を認識できるようにしたいのです。極真会館宮城県本部とは何処かというならば、「私が歩んできた全て」という所です。それだから、伝統の力を伸ばし、伝統の花を咲かせなければならないと思うのです。これが、ここで指導を受ける道場生のメッセージであり、道場生に期待している何物でもないということなのです。
結局、この宮城県本部の創設に関して表現するならば、創設にあたっての苦労と精誠は、到底言葉にできないものです。しかしあえて言葉にするならば、自分の心血と生命の核心をすべて傾けて築いてきたということなのです。この道場は、いかなる力でもっても、私と切り離すことはできない存在であり、次の指導者には、その内容を継承して、新たな時代を築いて欲しいと願うばかりなのです。