2014年9月5日(八段語録2106)

心身の調和


 森羅万象には、二つの軸があります。端的に言うならば、見える軸と見えない軸という事になります。つまり、二重構造と捉えて良いのではないかと思います。すべての存在物はこのような関係になっていると思うのですが、簡単に体と心の関係にもあるのではないかと思うのです。極真空手において、この軸を巧みに操らなければならないのです。つまり、人間の体の中心は心であるのです。心を中心として体が連結されているため、体は心を中心に回るのです。という事は、心の命令に体が動くということです。心が、何かをやろうと決めれば、体は動かなければならず、そのように動くのが原則という事になるのです。実際の稽古での訓練は、この心身の鍛錬の繰り返しで、身につくようになると思うのです。
 特に、極真の魂を磨くという事は、天地の道理にしたがって、体を鍛えることによって、心を磨くという事になるのです。そのために、心は高いと位置づけるのです。心は広いといいますが、高いという概念も含まれているのは当然のことです。こじつけですが、高いという事は、まっすぐな事においてどこまでも、天の果てから地の果てまで、垂直になるということです。魂は、垂直でなければならないと勝手に思うのは、球形運動をしようとも、垂直という部分は一カ所でなければならないからです。それが、魂の本質でなければ、唯一の概念から外れてしまいます。魂は垂直で崇高でなければならないという概念をここで意義付けるつもりはないのですが、このように表現することは正しい事ではないかと思うのです。
 ところで、私達が表現することに、心がまっすぐだとよく言います。一直線に垂直に立ったものを、まっすぐといいます。寝そべっていては、まっすぐとは言いません。心がまっすぐという事は、垂直に立っていることを意味します。そのような意味では、魂は真っ直ぐでなければならないのです。ですから人は立って歩くのですが、垂直になってこそ真っ直ぐなのです。そこで、魂が真っ直ぐにしなければならないのは至極当然なことです。そこにおいて、体が水平になるのです。このように垂直と水平が私達の内部で形成されるようになると、垂直において引く力、即ち魂と、水平において押す力、体がバランスを取るようになります。そうすることによって、求心力と遠心力が形成されるようになるのです。
ここに、極真の技が表現されてくると思うのです。
 結論として、心身が調和されているときは、苦痛は感じないのです。極真の道は、人としての苦痛の道を緩和して、人生という広大な航海を、無事に運行できるようにしてくれるのです。自然の道理から、極真の修行に至るまでの、広大な内容を短縮してお話しているのですが、その話の中で、感じてほしいのは、極真の道は、遥かに遠いのであり、極めるのに一生かけても極めつくせないものがあるということなのです。そのような、極真の精神をさらに学ぼうとするのが、最近の私であると思っているのです。