2014年9月4日(八段語録2105)

両親との絆


 わずか百年足らずの私の生命ですが、それも六十歳を過ぎて、ウルトラマンであるとしたならば、ウルトラランプが点灯して、もう僅かばかりの灯となっていることも実感する日々であります。自分の生き様は、大きいといえば、無限大であったと思えるし、小さいといえば、無限大に小さな人生であったと思えるのです。それでも、個性を持った存在として、人格と形状を備えた存在であったことには感謝する次第であります。なぜ、今まで人生を送ってきたかというならば、意識を持って、芸術的に人生を過ごすためであったと意義付けています。
 大半の人生は、親からの愛情を受けて、人となりの生き様をしてきたのですが、親から独立しても、経済活動をほとんどすることなく、理想の自分を求めて極真の道を続けてきたのです。それが素晴らしい道であり、武士道を貫いてきたことになるのです。とりもなおさず、恵まれた環境であり、親不幸に見える私は、両親の愛情を十二分に味わったのでした。それゆえ、理想のモデルとしての生き方を追求しようと心掛けてきたことに、何の疑問を感じていなかったのです。
 というのも、一つの基軸を持っていたからに他ならないのです。それは、長男として最後まで、両親の面倒を見るという信念でした。この点に関しては、ぶれることはなかったのです。この軸がいつも連結されていたから、どんな環境でも、歩んでいけたのです。いかなる時でも、両親が私と共にあるという気持ちは薄れもしなかったのです。このような関係は、いかなるものが作用しても引き離すことはできなかったし、誰も阻止することができなかったのです。それだから、苦労があっても無かったように過ごせたのでした。
 ところで、私が両親と絆を強く持って、共に生き続けてきた目的はなんであったかという事を考えるのです。両親としては、私が生きていることによって、最大限の喜びの人生を味わったのに相違ないのです。そして、私が成長して、より良くなるたびごとに、さらに大きな息子になることを願ってくれたのです。両親は、自分ができなかった事を、息子に託し、もっと優れて素晴らしくなることを願ってくれたのでした。それだから、両親から無限な愛情を注がれてきたという実感は偽ることのできない気持ちでした。
 言い換えれば、両親の愛情を一身に受けて人生を歩み続けたのであり、私の生き方が両親の愛情を誘発させてきたといっても過言でないのです。始まりも愛情であったし、終わりもそれが継続され続けていくに違いないと感じるのです。それゆえ、両親の愛情を実感しないで生きていたならば、不幸としか思えなかった人生であると思うこともしばしばであったのでした。両親の最後の願いは、生きて実体で生活することに他ならないという気持ちなのです。そして、それを今実践できているのです。だから、人生の生きがいを、中心軸をこのような観点に置いている自分は幸せ者だと思うのでした。