2014年9月1日(八段語録2100)
訪ね求める道
極真会館宮城県本部を思おうとすると、心が先行することは間違いないのです。ところが、道場生がいなくなるとするならば、今まで投入したすべてのものは失ってしまいます。それだから、道場を存続させなければならないのです。それだから、道場を存続させて、ハラハラドキドキすることを、今日まで続けて来たのです。決して中断することはできないのです。すべての道場生一人一人の全ての細胞に愛情を注ぎながら、その愛情を満たし続けて行こうとするのです。このようにして、道場生が成長して完成するまで投入して、また投入する心を持って、創造活動をするのです。ここの宮城県本部の本質があるのです。
この宮城県本部を創設したという事は、自分のすべての愛情を投入したことを意味します。このような私の心であるので、道場生という対象を増やし続けてきたのです。そうしてこそ、私と道場生の関係が形成されるだけでなく、私自身の愛情が宮城県本部に顕現するのです。そのことによって、私も、道場生も興隆するようになっているのです。良心は、そのような事を支持するのです。道場がうまくいくという事は、そのようなことなのです。まず、相対である道場生がうまくいくように指導し、その影響を受けて私がよくなるという事になるのです。
ところで、大山総裁が歩んだ道は、辿っていけばいいのですが、自分が師範となって歩む道は、尋ね求めていくような道でした。総裁と歩んだ道は、自分だけ行く道ではなく、総裁が共に歩んでくれたのです。私が、この道を歩んだからこそ、総裁が近くなったのであり、出会うこともできたのです。総裁が原則的な極真の道を究めてくださったので、私もこの道を行こうと努力することができたのです。総裁が築いた基盤は、私が一生懸命にこの道を究めたことによって、勝利の出会いが私にはあったのです。
したがって、この道を妨げることを悪と思いこんで、振り払って歩み続けたのでした。総裁と同じ道を行くことができないすべての要因を、私は悪と定義づけて継続したのでした。あらゆる、障害物がありました。しかし、この道を行くという私の決心は揺るがなかったのです。ところが、師範となった私は、もう一度総裁が行った道を、指導者として探し求めなければなりませんでした。そのような意味で、指導者となった私は、尋ね求めるような道を歩んだという事をここで話すのです。そのような意味では、原則から離れることはできないのです。これが、私の哲学です。このような意識をしていると、滅びるところから跳躍し、より大きな世界へ、より大きな舞台へと発展したのです。