2014年8月28日(八段語録2096)

円満な道場


 最近、教室を巡回するようにしています。どのように稽古をしているかという事を観察することと、ご父兄に道場の指導方針を説明することを目的としているのです。道場の責任者ですから、両親が子供を愛するようにという思いがあるのです。それは、道場生が尊いからだという事からなのです。私として、実感するのは、子供達には幸福や平和というすべてのものが入ります。父母としては、世の中で成功した時の喜びとが大きいにしても、放蕩していた子供が戻ってきて再会した時の喜びとは、比較にならないものがあると思うのです。そう考えると、父母の最高の願いが子供であると思うのです。それだから、私も大切に道場生を見守りたいというのが動機になったのです。
 さらにまた、指導員との深い絆を作っていきたいとも思っているのです。私と指導員の間に作られた、極真の伝統の関係は、忘れることができないのです。平常時の普通の環境から作られるものではないのです。真剣勝負での「死ぬか生きるか」の場で、生死が飛び交う境地で、弟子として、共に歩んだというレベルであるのです。その弟子とは一生忘れることができないのです。そして、自分がこの世を去った時でも、息子の行く末を託せるような人であると思うのです。それが、本当の師弟関係であり、誰も干渉することができない立場で結ばれた深い関係であるのです。昔の指導員との関係においては、そのような基準はありましたが、今の指導員との関係は、これからだということなのです。
 ともあれ、教室を回りながら、結構年齢を重ねた師範として、気が付くことを道場生にも、父母にも、そして指導員にも影響を与えることができればよいのではないかと思っているのです。多くの人達と和合して調和し、共に良き方向に望む欲求の起源を持ちたいと思っているのです。最近、巡回していないせいか、ちょっとギクシャクしたようなことも耳にします。道場での関係は、どのような関係であろうと、自由と平和と幸福が宿る中で、お互いに愛情を感じあう事ができる関係を持って築き上げたいと思うのです。それが私の願いという事になります。
 要するに、ラッキーセブンという言葉がありますが、道場での絆は、前後、左右、上下と六方向の中心の七番目に、自分を位置に置いて、円満な球形運動を起こして、回って限りなく発展することができるような、立場に立たなければならないと思うのです。それは、幸福な立場であり、お互いが、ラッキーセブンであるべきであるのです。それだから、ラッキーセブンという言葉が、持て囃されるのであると、勝手に考えているのです。