2014年8月27日(八段語録2095)

道場の巡回


 道場生には、両親の生命の紐が連結されていて、そして極真会館という空手道を追求する紐も連結されたのです。この紐は、道場生が修行を続けている限り、誰も切ることができないのです。指導者はもとより、両親においても切ることができないのが原則なのです。かえって、指導者は応援しなければならない立場であるというのです。この道場に連結されている道場生に、愛情を投入しているのです。今日は、県武道館で長町の道場生の稽古の様子を大友師範と一緒に眺めていました。先週に引き続き見学しました。そこに思いもしなかった三浦指導員が来ていました。
 午後からのあいにくの雨の中でしたが、ほぼ全員の参加でした。客席から稽古内容を眺めていましたが、夏休みも終えて、学業モードに道場生が入っているせいか、スイッチが入っているようで、真剣に稽古を行っていました。三浦指導員の指導も的確でした。本当に良い稽古をすると思えたのです。しかし、指導者が、この道場で自分に立場を確立するということが願われるのです。執行部の師範としっかり打ち合わせをし、指導員どうし、協調しながら、推し進めていくということが、指導者としての基本的姿勢であることは言うまでもないのです。
 ところで、自分の指導がどのレベルにあるのかという事を、執行部に理解してもらい、人体の一器官のように働きをしていかなければ、がん細胞として、リンパが認識して、攻撃されざるを得ないのです。そのことがわからなければ、指導者の道は、閉ざされてしまいます。道場生や父母の信頼を得ることは、現場を指導するだけに、そのことは容易ですが、人体のようになっている極真会館宮城県本部の組織の中で、どのような働きが願われているかを、どのように悟るかということが必要になってくるのです。
 結論として、自分が四肢五体の骨格の役割をしているのか、内臓の役割をしているのか、血管の役割をしているのか、それとも神経の役割をしているのか、役割分担を十分に認識して、貢献することが大切なことであると思うのです。それにしても、道場生が元気にしていることに、目が細丸思いになっていました。また、葛西指導員のご主人が来られていました。今後の闘病生活を余儀なくされる事を思うと、道場生の思いやりと祈りが必要であろうと痛感した次第でした。各教室を回るごとに、道場生の成長を直接眺めることの必要性を実感した次第でした。