2014年8月24日(八段語録2092)

利他的精神


 大切なものは、他のために生きるという精神なのです。当然道場は道場生の為にあり、道場生は道場の為にという意識は必要なことなのです。理由は、道場生にとって必要なものは、道場にあり、そこに宝物が保管されているのです。道場にとっても、重要なもの、宝物は道場生によって保管されるという事になるのです。それは、互いに取り換えられているかのようになっているのです。そうだから、道場生は、道場を離れることができないというのが私の主張なのです。その結び付きを日々の稽古で培っていくという事になるのです。私としても、今でも道場抜きにして生きていけない理由になっているのです。
 さて、「私」を磨く材料は、私にあるのではなく、道場にあるという信念を抱いて欲しいのです。極真会館宮城県本部の歴史で培っているすべてのものは、道場のものではないのです。あくまでも、道場生の為にあるものであるという信念を持っているのです。道場が培ってきているのだから、道場のものだと考えやすいのですが、道場のためには何も必要はないのです。道場が必要なのは、あくまで道場生であるのです。今まで、度胸があって、欲望が多い道場生の中に、道場と決別して、最も自分の自由になるような他の道場に求めてさまよった人たちがいました。そうした場合に、この道場で受けたような刺激がないことを悟るのでした。もちろん、自分磨きの修練の道は衰えてしまうのです。
さらに、道場内部にいても、道場を自分のもののように考えて行動した人たちもいました。もちろん、そのような考え方をする人は、道場の大道を破綻させることになってしまうのです。指導者の中にも、自分があたかも道場を動かしているように思う指導者がいたとするならば、そのまま、他の指導者と張り合って、千年・万年持ちこたえることができるかもしれませんが、どのみち位置を失ってしまいます。それは、失敗の道であり、破滅の道であると断言するのです。最も良き方法は、たとえ、指導者であったとしても、指導者どうしが、譲り合いお互いの為に生きてこそ、道が開けるというようなものです。それだから、お互いが入れ替わって一つのなるような指導者像を目指すべきです。
 今日は、愛子の教室と、福沢の教室に出かけました。道場生の両親に、この道場の成り立った、過程の説明をしてきました。極真の理想は高く、大人が実践して初めて認められるという話をし、少年部は、あくまでも極真空手の入り口であって、成人まで続けてこそ本当の極真精神にあることがあるという事を話したのです。さらに、この少年部のモデルは、私の息子であり、息子の教育の成果が道場の教育に反映しているという話をさせていただきました。まさに親ばかであると認識されることですが、それでも、親が子供を思う心の代表として、道場生の両親に響く話ではなかったと思うのでした。