2014年8月21日(八段語録2089)

長町の道場生


 久しぶりに、長町の教室に出かけました。新しい道場生が数人入門していました。もうすでに、三十名以上の道場生でごった返していました。葛西指導員が入院を余儀なくされているので、その指導の後継に吾妻指導員が検討されていました。新しい道場生の母親を中心に、この道場の教育理念、家庭の在り方から、子供への教育の仕方等、家庭の事情を聴きながら、話させていただきました。そして、小学六年になった色帯の先輩が、新入門の子供達の配慮している様子に、母親たちは新しい刺激を受けているようでした。
 ともあれ、大震災の後の整備をした後に、現場を離れて、医療の勉強をしていた私でしたので、道場生の成長に目を見張るものを見るのです。この道場生が二十歳を超えたころには、どのような素晴らしい人格を身に着けているものやらと、末恐ろしくも感じるのでした。このように、極真の伝統が受け継がれて、正しく育っている道場生に接して、指導は間違ってはいないと確信もするのです。残暑の暑い日差しが照り付けていましたが、道場生は精一杯稽古をして、特に今回進級した道場生は、心を新たに、一生懸命な姿を表現していました。
 ところで、長町の道場生の父母の雰囲気はとても良いのです。子供達を無限に愛しているという表情が現れているのです。それは、母親としての新しい希望の刺激であり、そのような道場の様子を見ると何かがあるような気がするのです。その境地は、今まで築いてきた極真会館宮城県本部の伝統であり、誰も崩すことができない、愛情と信頼の結び付きがあるように思えるのです。そして、道場生が先輩になればなるほど、自分より全体を思いやる心に満ち溢れているのです。何よりも、先輩道場生には後輩を思いやるという強い責任心情が立てられているようでした。ただ言葉だけで、見て、聞いて約束するようなこと以上に、変わらない先輩としての誇りを持っているようでした。
 三年ぶりに、長町教室の指導を眺めながら、親子が共に成長することができる、切っても切り離すことができない訓練所になっていると感じてきました。まさに愛の共同体であり、愛情の結実としての存在が道場という訓練現場に広がっていました。当然、これからも、道場生が成長して、愛情の結実を求めていくことに違いないのです。ちょうど、全ての木が実を否定するものではないように、いい環境の道場として成長していくのに違いないと確信するに至ったのでした。当然、この愛情の実は、母親と父親の愛情の要求を、全て引っ張っていくようになるし、全てを動員させてしまうと思えるのでした。