2014年8月5日(八段語録2082)

運営の原則


 どのように運営をしていくかということですが、私の中に極真会館の私がいて、その歴史があり、発展する私がいるという事に重きを置いて運営しているのです。それゆえに、現在と未来の道場が連結するのです。私が極真会館宮城県本部に愛情を注ぐのに、罰する法はありません。そのような私を必ず極真会館宮城県本部は擁護するようになっているのです。
 もう少し、詳しく述べるとするならば、赤ちゃんがお腹をすかせてやってくると、母親の胸は膨れ上がるのです。胸が膨れて痛くなると、ぱんぱんに膨れます。そこでお腹をすかせた赤ちゃんを抱いてお乳を飲ませる母親の気分は、言葉で表現することは難しいのです。膨れ上がっていた胸が縮んでくると、母親はスッキリして気分がよくなります。これまた、お乳をのんだ味は赤ちゃんでなければ分からないのです。また赤ちゃんがお乳を吸って触るのを見るとき、母親の愛情がそこにあふれ出ているのです。ですからすべての喜怒哀楽の双曲線がぶつかる母親の心のように、道場生に空手の指導をする体験をしなければならないと思うのです。
 ところで、今の自分の在り方は、極真会館宮城県本部に投入したくて仕方がないというのが、最近の気持ちです。道場生のために生命を捧げようとするのです。自分の生命を超えて愛情を注ぎたいと思うのです。道場生が多ければ多いほど、愛情の気持ちは広く、大きく、深いことになると最近は実感しているのです。道場生が多ければ多いほど広い土台に立っているからこそ、広い法度をもって生きることができるのだと思うのです。道場生が多くなると、私の能力はどうでもよくなるのです。ちょうど、女性が赤ん坊を授かると、器量がよかろうとも悪くても関係はなくなっていくのと同じです。つまり母であればいいようになるのです。
 これぞまさしく、人としての妙味であり、道場としては組織の妙味なのです。つまり、神聖な姿であると思うのです。これからの道場生の姿を記憶して、愛情を投入することになるのです。そして、少年部、一般部、女子部、どの時代という事に関係なく愛情を注ぎ続けるのです。私にとって、道場生がなければ、指導者の何たるかを理解することはできなかったのです。道場生をもって初めて分かった世界は大きいのです。それゆえに極真会館宮城県本部と切っても切り離すことができない、幸福な人生として私は生きていきたいと思うのです。