2014年8月4日(八段語録2081)

父兄の皆様へ


 これからの現場の運営は、二代目、菅野師範と北山事務局長に委ねていくということです。私の立場は、道場生と父母と指導者の潤滑油という事になります。もちろん、いろいろな意見や考えは当然あると思うのですが、自己中心的な道場生のために、全体方針を変えるということはないと思うのです。大会に出場していけば、強くなるという変な幻想を抱いている父母がいるとするならば、はっきりそれは間違いであると断言します。道場が何のためにあるのかという存在意義が問われてしまいます。道場生同士で、お互い切磋琢磨しながら、指導者の指導を受けて、初めて強くなるのであって、道場を無視して、指導者を無視して、大会での対戦だけで、自分を磨こうとしても、それは限界があるのです。
 確かに、いつも出場している選手と仲が良くなり、切磋琢磨するという意識は、わかりますが、その選手であったりしても、絶えずそこの道場で鍛錬を受けているのだと思うのです。道場の歴史を振り返っても、聖義指導員が、少年部にいたころは、例え、優秀な素材の道場生であっても、一回戦も勝つことができない伝統だったのです。今は、指導を受けて、道場での稽古をしっかりして、さらに、大会で同じようなレベルの選手と対戦するわけですから、そのようにできる道場生にとっては、幸せな環境であるはずです。その環境を今までの歴史で築いてきたのです。それも特定の誰かが優勝するということではなく、道場全体のレベルが高くなっているのです。基本的な環境をないがしろにして、成長することができるかというならば、それは否と言いたいのです。私の道場は、素晴らしい道場生を作ることに精一杯の努力を惜しまないのです。武士道を中心とした人間教育をするのであって、「化け物」を育成しようとは思わないのです。
 それだから、指導者がモデルであり、指導者のようになろうとするところに、道場生の意欲が感じられるようにしなければならないのです。当然、その指導者を超えていくところに、道場生の未来が広がっていくに違いないと思っているのです。私の場合、専門学校で、医療の勉強をしていました。それは、道場生の成長をどのように指導しなければならないかという医学的な観点を学ぶためでもあったのです。解剖学・運動生理学・病理学・衛生学・一般臨床・整形外科学など、理論武装をしてきたのです。
 それだけに、一つの方針を立てて実践するには、それだけの根拠である医学的な背景や、成長に必要なバックボーンを形成しながら、指導者として立っているという事を理解して欲しいわけです。「昔の極真に戻れ」という訳にはいかないのです。時代は進歩していきます。指導者の質も問われるのです。そのような意味では、指導の最先端をいかなければならないと思っているのです。今まで、宮城県本部の形成してきた伝統は、高いクオリティのあるものと確信しているのです。そして、二代目である菅野師範を全面的に信頼して、武道のスピリットを身に着けてもらいたいと思っているのです。
 道場生は、私の極真空手の実現体であり、投入体でもあるのです。道場を中心に考えるならば、私の空手道生命の延長体でもあるのです。また私の理想の具現体です。道場を運営して、もう二十年近い歳月が流れました。それはまさに第二の私を作っていくという事に他ならないのです。道場生は、私からするならば、愛と生命と理想的基盤から生まれるので、頼もしくも思えるのです。当然、私は、道場の伝統を重要視します。そして、標準的な指導に心掛けるのです。それは、天地の道理に基づいていると思っているのです。道場の指導は、直短距離で道場生に連結されます。ストレートに、伝統として、道場生の心に一点として定着するはずだと確信しているのです。