2014年8月3日(八段語録2080)

指導者の心の準備


 極真会館宮城県本部の理想は、家庭制度の延長を原則としています。日本の歴史を分析してもそのようになっている組織は強いのです。代表師範がいて、師範がいて、そして指導員がいる指導の在り方は、祖父と祖母、父親と母親、その次に自分が一つの家庭を形成しているのに似ています。極真会館宮城県本部を良い方向に導こうとすれば、三段階の世代の違う責任者が心情一体とならなければならないというわけです。道場生の心に、このような信頼関係が継承されるのであるならば、個々の生活観あるいは、いい加減な環境を抜け出して、調整能力のある指導者に育っていくのではないかと思うのです。
 極真会館の理想は、どのようにしなければならないかという事を、検討するのですが、実際はいろいろな諸問題が勃発するものです。私達の理想は、垂直に大山総裁に上っていくのです。その理想ゆえに、高く一つの点のように動くことなく、また分離することができないのです。もし、分離するようなものであれば、もう極真会館では無くなってしまうのです。そこで、私達の役割ですが、宮城県本部としてという事になるのですが、四方に連結して東西南北、三百六十度動いて活動を活発にするという事になるのです。
 ところで、このような発想は、道理であり、原則であり、公式に基づくという事になります。このような理想を中心に、円満な球形運動を備えるようになると、理想的な組織という事になるのです。また、道場の指導者は、恐ろしい存在になってはいけないのです。遊び時間は、指導者の背中に乗って、指導者の髪の毛を掴んでも楽しく指導できなければならないのです。道場生と指導者の距離が身近ければ、短いほど、道場生は良く育ち、極真会館宮城県本部を背負っていける人材に育つのです。指導者も当然、教育する心、愛の心、そして美しいものを愛でる人として成長するのです。
 私は、極真会館宮城県本部を、ただの空手道を教えようとするだけではいけないと思っているのです。手塚会長が願っている、家族の在り方を指導し、まさに、生きていて良いような生活様式を指導するのです。確かに最近の私は、健忘症のように、結構忘れやすくなっています。それでも、道場生を愛する心はというならば、涙もろくなっているのです。もちろん、還暦を過ぎると、知識の低下は免れませんが、あの世に拍子を合わせているのだと諦めています。それも、自分なりに都合の良いように解釈しています。
 つまり、この世での生活のあらゆる不品行を忘れ、本心から湧き出してくる関係を整えて、きちんと道場生や家族のために、橋をかけて道を固めるために、準備していると思っているわけです。だから、息子・娘は当然のこと、道場生の友となっていくべきであると思っているのです。もう、この世との終わりも近づいているようにも思うのは、私ばかりではないのです。見える時代から見えない時代の境界線を越えようとしているのかもしれないのです。私もかなり単純になってきています。三次元の世界から、もしあるとするならば、四次元の世界へと、より立体的な世の中へ向かっているかもしれないのです。都合の良いように考えるならば、新しいあの世での思春期へ向かって出発するということなのでしょう。