2014年7月31日(八段語録2077)

サマーキャンプ(5)

 追悼式を終えても、師範アランの事を思いだされるキャンプです。稽古でも正面には、師範アランの写真も飾っていますし、稽古内容も、師範アランが残した伝統が受け継がれているようでした。師範アランとの思い出がたくさんあるのです。ベルギーの観光地ブルッシュエル・ベルージェ・アントワープと様々なところを観光させてくれました。一言で師範アランを語るならば、円満な人格を備えた指導者であると思えるのです。会長とは、兄さんと弟の関係でした。黒帯の発注の以外は、会長と争った姿を見たことはなかったのです。たとえ、私が師範アランを頂上から押したとしても、へこんで他の所にでるとしても、機嫌を崩すことはなかったのです。太陽が丸い形をしていると同じように、丸い人格を備えた人でした。
 師範アランは、とてもアルコールと女性が好きなようでした。誰にも話しかけました。酒と人に酔って生きて、幸福そうに思えました。もちろん、極真空手道に酔っていたのは間違いないことです。極真空手に酔っていたから、自分が構想する本を書くとか、大山総裁に酔って、武士道に生きているようでした。師範アランの稽古は独特でもありました。四肢五体が、立体的な理想的な型までも、自分で作っていました。それを組手の型と称して、自分も完璧に覚え、それを審査の中にも取り入れていました。
 ところで、家庭はというならば、奥さんは二十歳若い女性で、ダンスの教師をしている人なので、とても美人で、スタイルも良い人でした。長男は、師範アランの言う事を聞くこともなく、別な道を歩むことになったのでした。さらに、娘はというならば、イスラムの男性を好きになって、これも師範アランが好む結婚ではなかったようです。客観的に見て、家庭では、思うようにはいかなかったのではないかと推測してしまうのです。
 追悼式を終えた、サマーキャンプも、師範アランがいた時と変わらないように運営しようとしていました。しかし、大きなヒマワリの花が無くなった感じではあるのです。それを、ガデム氏を中心に、各国の指導者が協力して、強固な団体にしようとしていることは、肌に伝わってくるのでした。確かに、師範アランは、全ての事を一人でプランニングして実行していました。そのような意味では、強烈な指導力と愛情でもって、築き上げてきたのです。そのような意味では、愛情を中心として平等な組織であって、その愛情の持ち主がいなくなったのだから、平等という事を、新たに構築しなければならない時に来ているのだと思ったのです。