2014年7月12日(八段語録2071)

共に歩む人生(12)

 結構、今振り返ると、結婚してからの人生の速度は、限りなく早いのです。まさに最高速度で、さらに直短距離ともいうべき内容であると思えるのです。それだけに嘘のように人生は過ぎてしまっています。矢のように直行した人生は、有意義であるばかりでなく、夜も昼も関係がなく、春夏秋冬、いくら人生が長くても直結してしまう速さであったと思うのです。つくづく、世の中で最も早い速度は、光の速度ではなく、最も驚くほど過ぎてしまったのが、人生の速度ではなかったかと思えているのです。それで何を中心として過ぎたかというと、妻を中心として過ぎたということになるのです。まんざら、浦島太郎の竜宮城の話は嘘ではないように思えるのです。
 確かに時代が変わり、情報化の時代を迎え、知識も変わり、権力も変わり、人情まで変わってきたのです。そんな中で、変わらなかったのが、家庭であったし、妻と築いてきた人生であったと思うのです。ところで、物は力で成り立っています。人間の肉体にしても、力で構成されていることに間違いはないのです。それでもよりよく分析するならば、体から発する力も四肢五体で作用しながら生まれてくるのです。そして、不足なものを補充し、不完全なものを補充し、欠如したものを完結させようとするのです。千順さんとの人生も、何かを補充するような人生でもあったのです。その補強される力の発露がなければならないのですが、結果的に衝撃的力、再び戻す力が刺激的な愛情としてあったから築けたのだと思うのです。
 ところで、千順さんとの人生は、よりよい生活でした。実際に家族そのものの内容を動かすものです。道を外れようとするならば空手の拳よりも、恐ろしいようにも思えるのです。どれ程遠く広くても、さっと瞬間的に占領します。それは、どんなに苦しくても希望峰であったことは間違いないのです。ある意味で、彼女が存在したがゆえに、脱線行為はなかったのです。六十歳を超えた私にとって、千順さんとの人生は、あまりにも早いと思えるのです。もちろん、これからも一生懸命に共に歩んでいくのは間違いないのですが、それにしても、早いのです。
 この早い妻との人生を、ミツバチが食べる蜜のように味わいながら、生きていきたいと思うのです。とはいっても、今まで経験した愛の味は、結構苦かったり、塩辛かったり、甘かったり、辛かったり、たまには、渋いものがありました。そんな人生をこれからも、あっという間だとは思うのですが、しっかり対応する覚悟を持って、夫婦で歩もうと思うのです。今回は、光よりも早いのが人生であるという実感のもとに記述しているのですが、これまた本当のことだと思えてならないのです。