2014年7月10日(八段語録2069)

共に歩む人生(10)

 私たち夫婦に課せられたこれからの課題は、娘たちを嫁がせることなのです。ありがたいことに、息子は、アメリカ人のモナさんと、一緒になることができました。もうすでに、結婚してから、六年の歳月を迎えているのです。しかしながら、娘たちは、これから嫁がせなければならないのです。二十代前半を迎えている娘を、どのような家に嫁いでいくかということは、気がかりでなりません。そんな思いでいる私以上に、私の妻は生命を張って、娘の将来を見据えているのです。千順さんの愛情は娘の将来を明るくするように思えてならないのです。そして、その思いは娘を左右しているように思うのです。
 さて、妻の愛情とはどのようなものかという事を考えるのでありますが、つまり、母親が娘を愛する愛は、私が千順さんに向かって初愛に燃えて生死も忘れて突進して爆発したそれ以上の力を持っているように思えるのです。ある意味で自分の生命を捨ててまでも保護しようとする愛の心は、何にも代えることができないものであると思うのです。当然、娘たちが、生まれるようになった動機は、私と千順さんの愛情が育まれて、連結され、血統として生まれたのです。夫婦の内外の心身がお互いに調和して、扇の要のようになって、血統として生み出されたに相違ないのです。
 ところで、最近、私が生理学とか解剖学を学ぶようになって、生命の神秘を考察するようになってきているのです。つまり、最も神秘になっている生殖器が愛の器官であるし、生命の器官でもあるし、血統を残す器官でもあることに驚きを隠せないのです。その場所が、世間的に下ネタのように話され、最も悪いものとなっていたり、恥ずかしい場所になっていたりするのです。私のスタッフとこのような話をするのですが、スタッフは下種の勘繰りと映るのですが、私としては、神聖なものとして話すのです。その感覚の違いは驚くべきものもありますが、辿ってきた、人生によって捉え方が違うとしか言いようがないのです。
 かなり脱線しましたが、何を言いたいのかというならば、愛情の関係があるところに対しては、すべての神経が衝撃的な刺激を起こすということです。千順さんは、夫としての私もそうですが、娘たちを最も近いところにいさせようとするようです。そして、離すことができない関係を持とうとするのです。そして、その関係は、家族に喜びと刺激と衝撃を伝達してくれるのです。