2014年7月9日(八段語録2068)

共に歩む人生(9)

 本当に、こま鼠のように、細かく動くのです。いちいち私に、報告が来るので、ちょっと面倒くさくなるということになるのですが、それでも、関心を持って対応しようとするのです。銀婚式も終えた歳月を過ごしているわけですから、馴れ合いになっていいのですが、いつも新鮮に感じるのは、お互いが努力して、夫婦生活をしているからだという事だと思います。私の場合、朝に家を出掛ける時に、千順さんに挨拶をして家を出るのですが、私の気持ちの中には、帰る時までには、心の成長を少しでも果たして、新鮮な空気を送れるようにしたいと思うのです。そんな日々をつづけているから、漬物石に浸かったようにはならない夫婦でいられるのだと思っているのです。
 そのような意味では、私たち夫婦は終わりがないような気がします。すべてを終えたと感じるような愛情は、愛情ではないと感じるのも本心なのです。普通、離婚などするような愛情の終わり方であると、気分は良くないと思います。その原因は、自分だけのために生きようとするからだと思うし、その思いは、一日も持たないのではないかと感じてしまうのです。夫婦喧嘩を結婚生活で、三度ほどしたことがあるのですが、その理由は私が愛を受けようとするからなのです。愛情を受けようとすると、互いに長続きはしないと分かりながらも、そうせざるを得ない嵯峨が私にはあるようです。
 ところで、私達夫婦は、今まで変わらない愛情を育ててきました。もちろん、これからも育てるつもりなのです。たとえ時代が変遷して、いくつかの環境が変わっても、愛情の理想を果たそうと思うのです。ちょうど太陽系で太陽を中心として惑星が運行しているのを見ると、それは変わらないのです。地球は太陽の周囲を一年に一回ずつ回っていますが、数億年の間、一秒も狂うことなく回っているのです。このような巨大な地球が数億年の間回っているということは、驚くべき事実です。一秒違っても大変なことになります。だから、理想は、そのような変わらない愛情を育てていこうと思うのですが、果たして、それが可能であるかというと、ちょっと自信を無くしてしまいます。
 結論として、千順さんという素晴らしい妻を持った自分は、春にもその愛情を味わいたいし、夏にもその愛、秋にも、冬にもという風に考えるのです。当然、出会った時から、青年、壮年、老年時代とその愛情を味わっていきたいと思うのです。良きにつけ悪しきにつけても、千順さん無しには、これからの人生は考えられないというのが本音です。もちろん、太陽系の原理原則のようにはいかないでしょうし、時には狂うこともあるでしょうけれども、そこでも修正能力を持ちながら、前進することができれば、私としては満足なのだと思うのです。
今日精一杯妻と生きて、明日も一生懸命生きることができれば、幸せなのかもしれないのです。