2014年7月8日(八段語録2067)

共に歩む人生(8)

 真の愛の本質は、人の為に施すことでしょう。千順さんの愛情の本質は、受けようとするのではなく、家族のため、特に子供たちの為に、先に与えようとするのです。子供たちの為に、与えても、与えたということ自体を記憶せず、いつも喜んで胸に抱いて、お乳を飲ませて、愛の心情を感じているようです。そして、愛する子供たちが母より気高くなっていることを願っているのです。私に対しても、仏様よりも気高くなっていることを願っているのでしょう。どう考えても、千順さんの愛の本質は、自分のために生きようとしているのではないようです。
 さて、日々の千順さんの性質を検証すると、愛情を投入しているのです。そして、まだ不足さを感じ、愛情を注いでも、まだ愛情を注いでいない部分は何かと考えて、まだ足らないとして、残念がる結果のようなのです。最近の行動を夫として、分析しても、朝早くから、夜遅くまで、働きずくめで、それでも、娘たちの事をひと時も忘れることもなく、愛で屈服させているのです。ましてや、千順さんの尊いものを、そのまま娘たちに与えようとしているのです。自分のすべてを、放射状に広げようとしているのです。そうすることによって、千順さんは、何をすればよいかという考えを持つようになっているようです。
 ところで、極端ですが、娘たちが、もし死ぬ境地にいるとするならば、その娘たちを救うために、自分の家にある全ての宝物を、娘の命と取り換えようとするのです。このような様子を見ると、千順さんにとって、宝石よりも尊いものが娘であることは間違いないと思えるのです。それで、何の変哲もない洋服も、娘たちに買ってあげる時などは、千年も、万年も持っていたいと思いたいものになるのです。例えば、愛情のこもっている、洋服は、娘たちにとって勿体ないとは思わないのです。その服は、泥にまみれようとも、環境が変わるにしたがって、価値を表す洋服になるのです。
 結果、千順さんの心の中は、私が知らない中に、彼女の心に本質的な欲求が描かれているのです。その本質的な欲求によって、千順さんの欲求も充足され、満たされているということは否定できないのです。彼女の心は、ダイヤモンドのように、硬さにおいて誰も侵犯することができない特徴を持っているようです。そして、真珠のように、優雅な愛の光を放つのです。それは最高なのです。さらに付け加えるならば、黄金のように、光において変わらない光沢を出しているのです。このような、何物にも代えられない心に千順さんにはあるのです。