2014年7月4日(八段語録2063)
共に歩む人生(4)
自分でも、驚く人生に戸惑いを見せながら、過ごす日々です。今の私は、地域の中心的な奉仕者になりつつあることと、極真会館の基盤を拡大し勝利的な立場にいるのです。さらに、根白石に農場を営み、畑で野菜を栽培し、田圃で米を作っているのです。妻は、我が家で下宿人のお世話をして、夫婦そろって、今も、健康で過ごさせていただいているという事は、幸福の何物でもないのです。そんなにも充実した人生を送れるとは夢にも思っていませんでした。思えば、高校も卒業するや否や、上京し大志を抱いて、世間の荒波に臨んだことを今にして思い浮かべるのです。
上京して、すぐに実践したことは、全国を回って、多くの人との出会いをすることでした。最初に訪れたのが名古屋の守山で、二週間の期間を過ごしました。ここは人生の修行所ともいうべきところで、仏門に入るような、修練をしたのです。野山を駆け回って、漆の木に負けて、顔が膨れ上がったりもしました。その時の意識は、人としての道をどのように極めるかという事でした。何の知識もない私に、砂漠に水が染み込むが如く、あらゆる書籍で学んだのでした。そして、その土台の上に、寝袋一つで、北陸を回ったのです。福井・石川・富山・新潟と歩き続けたのです。その期間は、一か月に及んだのです。
そして、北陸とも別れを告げて、東京へと向かったのです。東京では中野近辺に居座り、未成年でもある私にとっての社会の見つめ方をしていったのでした。新宿・池袋・渋谷・を重点に観察し、多くの人と出会ったのです。本来ならば、早稲田大学に入学したいという夢があったので、そんな気持ちも含めて東京を探求したのです。この時に行ったのが、講道館だったのです。その時、柔道は自分の人生の柱になると思って、稽古に励んだことを今更ながら、思いだされます。それも一か月で終わったのです。
さらに、探究は続くのです。急に北海道が素晴らしく見え、感動・躍動・北海道のキャッチフレーズを全日空が行っていたせいか、さっそく津軽海峡を渡って上陸したのでした。札幌を中心として碁盤目状の街を歩き回りました。8月のことでした。不思議に北海道は広かったせいか、二か月間過ごしたのです。「少年よ、大志を抱け」で有名なクラークの像が立っている北大に出入りをしたのです。世間知らずを良いことに、あらゆる探求をしたのでした。
北海道も11月にもなれば、寒くなるので、南下しようとして宮城を過ぎて、福島に滞在しました。福島市と郡山市を行ったり来たりして、もう家に帰ろうかとも思いながらも、一冬を過ごしたのです。磐梯山に真冬に登って、遭難しそうになったのも今では思い出になっているのです。そこで、選択として、これからどうしようかというときに、東日本はすでに探求したが、西日本はまだだという事を念頭に生まれたので、福島で少し準備をして、次への旅路に向かったのでした。