2014年6月11日(八段語録2056)

娘へ(11)

 娘への提言ですが、自分の体をどのように調和させるかという事なのです。心が不安定になって、体も心から分かれているという事ですから、心身の調和を図るために、自分の信念を持たなければならないという事になるのです。つまり、自分で人格と心情を高次元まで高め、自分であらゆる課題を収拾できる能力を持たなければならないという事なのです。また、人に好まれ、人に認められなければならないのです。自分が行動する事に、大概の人が賛同することができるような好まれる人格を身に着けるという事なのです。
 良き人格の実体を築くために、生活環境の中で、どのようにするか、また自分の内面の中で調和するにはどのようにしていくべきなのかを、検討しなければならないのです。そのようにするためには、多くの人と会話の中で、自分自身を発揮することができるようにならなければならないのです。そうでなければ、人との連結などあり得ないのです。自分の人格を磨かなければ、人との調和はできず、何も変わらないし、多くの人との連結などあり得ないのです。人と調和できる能力とは、公的精神があり、人の為に生きることができ、明日の人々に無くてはならない能力になっているという事なのです。
 ところで、素晴らしい人格とはどのような人格であるかという事になるのです。多くの人と和する人格という事です。本当の人柄であるとするならば、同じその人と会っていても飽きないのです。その人といても終わりがないのです。そのような人格を求めていかなければならないのです。その人は、人に願いにぴったり合うからと言ってそれで終わるのではないのです。その人といて安心するだけでなく、会話して、会話して、また会話して、永遠に会話しても、一緒にいたいという人格であるべきなのです。
 娘に願う人格とは、時間を超越して、主義を超越して、思想を超越して、どこの誰に会うよりも、夜に会い、昼に会い、どんな時に会うにしても、心に無限に流れていくような人格であるのです。娘が行く所であるならば、どんなところでも、薬となり、どんな人にも良い影響を与える、生命の源になれということなのです。その為には、日々自分を育てるのです。人格をどれほど深く、高く、広くすることが、これからの課題なのです。それは、暗い夜に輝く灯台になるが如くなのです。そうなることによってこそ、娘は宝物となり、お金で買う事が出来ない人格になるのです。そして、最後に人格を通じて主体性を備えた実体、すなわち人格の主体となって、あらゆることにチャレンジし創造する事ができる人格にならなければならないのです。そして自分の骨と肉を通して生命を得た人格の実体として振舞って欲しいのです。