2014年6月10日(八段語録2055)

娘へ(10)

 語学留学をしている娘がいます。高校時代から韓国語を履修して、大学卒業して、いち早く韓国語の語学院に今学んでいるのです。学ぶ理由は簡単な事でして、韓国ドラマにハマっているうちに、字幕なしの生の言葉を理解したいという事が動機だったように思うのです。今では、現地の会話にも溶け込むことができるくらいの上達ぶりです。親たち世代は、今の日韓関係の悪さで、敬遠しがちなお隣の国ですが、娘にとっては、そのような事は、どこ吹く風といったところなのかもしれません。頼もしい限りです。それでも、現実に韓国の男性と恋をしようとは思ってはいないようです。あくまでもドラマの世界だけなのかもしれないのです。
 最近、色々な事を考えるのですが、隣の家がうらやましいという事を思うのではなく、自分の家庭が理想に向かっているかという事を意識しなければならないという事を思うのです。理念は、良い家庭を目指すという事なのですが、他の家庭を見て、自分の家庭はどうなのだと考えるのではなく、自分の信念で良き家庭を目指すという事が最優先であると思うのです。まして、これまで生きてきてみて、私の親の存在がいかに大きいかという事をいまさらながら、実感させられるのです。親が築いた土台の上に、今の自分の家庭の繁栄があるのだという事を実感させられるのです。
 ところで、これからのわが家庭の歴史はどのようになるのかという事を考えると、親が一生懸命生きて、息子にバトンタッチしてくれたのです。私の生きた生活圏が、これからの子孫の現実的な伝統の基準として残るのであると思っているのです。つまり、今からの私の家庭がどのようになるのかを思いわずらうよりも、今から千年を歩んでいくようになれば、私としても希望の未来を見つめながら、追求していくようになるのです。それ以上に今までの自分の生き様を点検していかなければならないと思うようになっているのです。私の築生きた生き様が中心となって、伝統をできるだけ模範として、従っていってくれる子孫になればと思うようになっているのです。
 これからの娘を引っ張っていかなければならないのも、今の親としての自分にあると思うのです。娘の将来の為にも、娘を愛する事を第一として伝統を立てていきたいと思う親ばかぶりです。心は親の心情で、具体的生活は汗にまみれて、涙と汗を流す生き様を示しつつ歩もうと思う昨今なのです。その為にも娘の為に生きることを第一として、娘の為にどれほど投入することができるか、第二として、そして娘の行く道の灯台として精誠を尽くす親となることなのです。更にフンドシを締め直すのが今なのだと思っているのです。なぜならば、親に娘が同調してもらいたいが為なのです。