2014年6月9日(八段語録2054)

娘へ(9)

 娘が大学入学を果たした入学式の当日、今でも忘れることができないことが起きたのです。頭と手足が痺れる状況が現れたのでした。すぐに精神科の先生に診察して、入院生活が続きました。それからもう既に四年の歳月になります。徐々に回復して、一般の生活ができるようになってきました。その治療は、母子ともに歩んだ軌跡という事なのですが、一言では言えない母親の献身的な姿が愛情として表れてきたのです。娘の事なので、男親としては対応できない面もありましたが、妻の愛情の限りを尽くしていく姿と、娘の病との戦いが今でも脳裏に焼き付いて離れないのです。
 娘は、高校時代は学年でトップクラスの成績で、しかも三年間無欠席無遅刻で過ごしたのです。当然表彰もされたし、大学も推薦でそのまま幼稚園・保育の先生の資格を取り、将来のビジョンを描ける状況であったのです。それが、病気が発症して、入院生活が長くなっていったのです。入退院を繰り返しながら、学業を全うしてきたのですが、四年が過ぎても、卒業することができない状況は変わりないのでした。そして、母の愛情は、アルバイトをしながら、普通の生活が営めるようになっているのですが、今でも母親は付きっきりの状況で娘の成長を見ているのです。
 私の安心する到着点は、娘の課題をも解決してしまう程の、愛情の溢れる家庭となって娘の生涯を見守っていけるように願う事なのです。その為には、血は水よりも濃いという事を証明する必要があるのです。全ての親の環境を娘に捧げるというのは当然の事、心情を投入する生活をするという事なのです。父母として愛する娘の為に自分達の全てを捧げようとするのです。家庭という愛情の伝統の上で、同等な立場において全てのものを心置きなく継承させようとするのです。親の愛の同参者に娘と立たせ、精いっぱい心を投入するのです。
 娘よ、このような覚悟を持って愛する娘に接しているのです。愛の心をも持って娘の為に生きているのが親なのです。愛情を維持しようと家としての伝統を立て続けるのに必死な訳です。この我が家の伝統に忠実になって、責任を持っているのが親なのです。今、現在の生活環環境を守りつつ、未来の新しい礎を築くために、闘争しているのも親なのです。自分の世界を投入しつつ、家庭と連結させながら、家族を抱いて、家族以上の関係を求め、愛情を捧げようとしているのも親であると思うのです。それだから、娘よ、親を誇り、これからの人生病気に打ち勝ちながら、切り開いて欲しいと願うのです。