2014年6月8日(八段語録2053)

娘へ(8)

 我が家は自由な家でした。娘にとっては安らかな家ではなかったかと思うのです。我が家で娘達が育ち、立派な大人になって、人格が完成され、結実として育っていく所としてあったと願ったのです。当然。親としての環境設定は、娘に何不自由なく育て、永遠に山水苑のような泉がやむことなく、陽光が照らしてくれるような家庭を目指したのでした。できれば、娘を楽園の世界へと移していきたいという思いで育てたことを、今になって振り返ってしまいます。親は一人で愛を探すことはできないのです。娘の育つのを眺めながら、世間という倉庫に入って行って、愛の収穫をするのです。そんな日々を与えてくれたのは娘であると感謝しているのです。
 もう娘は、二十歳を越えて、自分で自立して歩むようになっています。それでも、娘の事が気がかりであることに間違いないのです。もし、どうしようもない娘として、日々を送っているとしても、親としては、最後まで、つまり生命が終えようとも、娘に愛情を注ぎつつ終焉を迎えようと思うのです。もう既に、家庭を持った時からの覚悟であり、娘が生れた時からの覚悟なのです。そんな日々は、娘にとってありがた迷惑かもしれませんが、率直な親心なのです。
 ところで、今親として娘に心がけていることは、偽りのない親でいたいという事です。夫婦で願って生んだ娘なのです。それだから、妻以外の女性と関係を持とうとはしないと心に決めているのです。それは、娘を妻との関係で最後まで育てたいという気持ちからなのです。最後まで、親としての人生を「私の家庭」であるという認識を持って歩みたいと思うからなのです。今まで夫婦で築き上げてきた全ての財産を娘に捧げるのです。それが親として投入して全てを忘れ、娘に結実させるという事なのだと思っているのです。夫婦がいくら頑張ったとしても、娘がいなければそれで終わってしまうのです。
 そのような意味では、娘に親の全てを伝授したという事です。娘の生まれる前から、愛情を注ぎ、娘の成長と共に育み、そして、今、巣立っていく娘に全ての願いを込めて、今生きているのが親なのです。我が家で育った心は、純粋な情であり、よりよい純潔の伝統であるという自負を持って欲しいのです。これから娘に願う事は、すべての面で先頭に立って、自分の意志でもって人生を開拓してほしいという事です。人生という航海は、いろいろ待ち受けている試練があります。無事に親のように荒波を渡り切って欲しいのです。それが親の願いなのです。