2014年6月7日(八段語録2052)

娘へ(7)

 人生試練だらけです。試練を通過すれば、上へあがっていくだけなのです。人生を放棄することは決してあってはならないのです。もう既に二十歳を越えた娘に今更親が何を言うのかと思うでしょうが、楽な人生など一切無いのです。その楽でない試練の人生をどのように生きなければならないかという事です。親が思うに、娘として心情を併せ持ってこそ、生き甲斐のある人生へと旅立てると思うのです。心情を除いてはならないのです。心情が無ければ、人格が出てこないし、心情を通じた人格でなければ、真実の生き方もできないのです。もちろん、心情が付いてこなければ、理想へ向けての実感はないのです。
 もう二十歳を過ぎたのですから、成熟するようになっていることは認めるのです。それでも、内容を身につけるには、世間の荒波に勝たなければならないのです。誰もが、人生を生きるという事で大変なのです。親としては、発電所となって電気を娘に送電することに一生懸命になるのですが、それでも乗り越えるのは娘です。娘の良さを知っているのは、親であると自負するのですが、いずれは結婚相手が生じて、娘の価値を百パーセント認める伴侶が現れることを願うのも親なのです。その娘の価値を理解できる相手が生れなければ親として死にきれないのも事実なのです。
 ところで、人生を試練だらけと見つめるのも苦しいものがあります。一生懸命生きようとすれば、試練というよりは恩恵のある人生として感じられるのです。恩恵を受けるという事は、夢や幻想のようなものとしてはじめに現れると思うのです。親の心の基準とその背景となる思いが絡み合って、新たな理想に向かっていく力が湧いてくるはずです。娘の人生はこれからなのです。親は、必死に娘の幸せを望んでいます。娘が一人で生きるのも大切だと思うのですが、それ以上に良い家庭を持てたらもっと幸せになると思うのです。つまり、苦楽を共にできる伴侶がいてくれたらと思うのです。
 今回、良き出会いがあって、ある家庭の息子さんとの出会いがあったのです。とても良い青年だと親は思ったのです。それでも、最終的には、娘が決定して、次の段階へ進むだから、親が口を挟む訳にはいかないのです。自分でしっかり判断して、将来の理想へ向かって歩んで欲しいのです。親としては、日々やきもきしているのです。今日も梅雨空の中、ただ娘の幸せを願う親がたたずんでいるのです。