2014年6月6日(八段語録2051)

娘へ(6)

 親と娘は人生に同じ重さの責任を持っているのです。私は、個人から世界に至る道を、極真会館という団体で開拓してきました。当然娘も、個人から世界に至る道を開拓するのが人生であるというのはいうまでもないことです。もちろん、期間の長さの違いがあるとはいえ、先に行ったのが親であり、後について来るのは娘であることに間違いはないのです。親は家庭環境や地域社会の中で、人間として、情に通じる道を歩んできたのです。もちろん障壁はありましたし、困難な峠は繰り返しぶつかってきたのです。
親として歩んできた道は、極真会館森道場を守っていく弟子たちを育てるという事でした。当然、私が先頭を切って勝利の基準を打ち立ててきたのであり、その内容を弟子たちに継承させ、私が責任を果たしたと同じように、弟子たちも責任を果たすことによって、極真会館森道場の目標が広がってきたのです。そうでなければ、私が安心できる基盤ができるはずはないのです。それは、常に闘いであって、定着することなどあり得ない道のりであったのです。このような困難な道も、二十数年間歩み続けて今となっているのです。つまり、私の立場を、新しい弟子に譲り渡しながら歩んでいるのです。
そうであるからこそ、娘は、この事をしっかり認識して、自分の人生に取り組んでほしいのです。当然、私は弟子の師範よりも先を歩まなければならないのです。すなわち一段階先を進まなければならないのです。娘として、人生において、外敵から身を守らなければならないのです。自分自身を守護し、どのような外敵からも勝利の決定圏を、もぎ取らなければならないのです。その為の擁護圏を築き上げる事こそが、人生なのです。自分を守ってくれる垣根を作らずして、「危険にさらされた人生を歩むべからず」というのが親の心なのです。私には「難しいことがあれば自分が責任を持つ」という大友師範と、菅野師範がいるのです。このような人物こそが、私の擁護圏を築いていると言って過言でないのです。
そうだから、娘よ、強く「大胆であれ」というのです。だから、私のように、娘は一戦に立って、戻ってはならないというのです。誠意でもって直行するのです。娘達よ、我が家の伝統的な思想を失ってはならないのです。我が家は厳しい試験を娘達に課しながら通過させてきたのです。それは、我が家の伝統を相続するために厳しくしてきたのです。その理由は、決して、私は我が家を放棄しないからです。それだから、覚悟を決めて、人生を歩んでほしいのです。