2014年6月5日(八段語録2050)

娘へ(5)

 幸せな世界の中心的な歩みは、当然、家庭生活にあるのです。その家庭は間違いなく、愛情にあふれ、真実であり、そこから生命が連結されるのが家庭ということになるのです。その家庭の中心、または実体として生きているのが親なのです。娘達の為に間違いなく、愛と生命と理想の実体として人間の完成基準を求めてきたのが親なのです。もし、親が心と体を一つになった実体として、娘の前に立たなければ何の意味もないのです。そうでなければ、娘の希望の中心にはならないのです。娘の願う革新的な存在に、日々、成り続けているというのが、親としての現実的な戦いなのです。
 娘は、そのような親のレベルであるならば、親から逸脱することはできなくなるはずなのです。そのような基準で、親が生活し、語る言葉も確かなものであるならば、娘の指針になるはずだと思うのです。娘に今まで、最大限の愛情を表してきたのであり、実態を備えた、親として生活を送ってきたのです。そうでなければ、親と娘とのDNAが違ってしまうのです。葉の細胞をはがしても、根の細胞を剥がしても、その植物は同じであるように、親と娘の本質は変わらないという事実を確立しようとするのです。娘にとって、親の愛情が植え付けられるように、親として人生を闘ってきたのです。
 娘が、例え間違った人生を送ろうとも、親として娘が根を下ろせるスペースは作っておこうと努力しているのです。親が生命の木として、連結できるように再復活できる道を作っておかなければならないのです。例え、娘の愛が狂い、生命が狂い、血統が狂ったとしても、それを取り戻していくための、しっかりとした伝統を親として立てなければならないのです。そうでなければ、娘の行く道がなくなってしまうのです。娘が、狂ってしまったとしたら、誰が止めるのですか。親であり、愛情でもって食い止めるしかないのです。
 娘に地獄の門を撤廃して、新しい愛の輝く光が差し込むように、革命を起こすのも親の務めなのです。出来が悪い娘であるならば、出来が悪い相対圏を作らなければならないし、出来が良ければ、それだけの相対圏を作っていこうとするのが親としての決意なのです。その努力は、円周と同じように、終わりがないのです。体力突き倒れたとしても、娘を守っていこうとする努力は続くのです。愛情を完成させようとする人生のプログラムは、更にまた継続するのです。それが、親として生きていく存在意義なのです。