2014年6月4日(八段語録2049)

娘へ(4)

 もう既に二十歳を越えてきた娘達に、言うのは、理想を持った夫を持つようにという事なのです。日々の生活のみに生きようとする男は夫としては不十分なのです。生活で覇気が失われ、マンネリ化した生活をするとするならば、家は汚染されて、いつの間にか人生に失望してしまいます。そのような生活から希望と理想を求める生活は、どれほど大変であるかという事を認識すべきなのです。マンネリ化する生活からは、思い通り叶うような生活などあり得ないのです。それだから、家庭の出発として燃えるような情熱を抱かなければ、何ら充実するような生活はできないのです。
 国家が栄えようが、地域のインフラが整おうが家庭が天国にならなければ、生きる意欲が失われてしまうのです。ましてや離婚再婚を繰り返すようでは、「夢破れて山河あり」という事になってしまうのです。そのように、娘を導くとするならば、本家本元の私達夫婦が、理想に燃え、情熱を持って生き続ける人生を送る姿を示し続けなければならないのです。そうでなければ、娘に生き方の継承としての接ぎ木はできないのです。家庭というものの基準をしっかり示して、その接ぎ木した実を持って家庭を築かないようであれば、真のオリーブの木にはならないのです。
 ところで、娘に話したいことは、自らの成し遂げたいことを、しっかり胸に収めながら、責任分担を果たすという事なのです。そうでなければ、親の愛情に連結されることはないのです。娘がいずれは、新しい家庭として出発するのですから、より良き方向に定着してほしいと願うのは親の気持ちなのです。当然、夫婦となれば、信念から良き家庭が生れるのではないのです。信念よりも、夫婦の愛情によって、神聖できれいな息子・娘が生れてくるのです。つまり生殖器が問題であるのです。それだから、夫婦生活が最も尊いものであり、これを拒むようであれば、天地がなくなり、これが無ければ、理想も希望も、そして家庭そのものがなくなってしまうのです。
 娘よ、愛は永遠の関係を結ぶもので、断つことはできないのです。死ぬ時まで愛は忘れることはできないのです。例え、私達夫婦が死んだとしても、愛の心を持って、娘を愛しながら死んでいくのです。愛を忘れて死んでいく人はいないのです。愛情というものは、死を越えて永遠と繋がるのです。それだから、娘を生涯忘れられなのです。今まで、娘を愛情で見つめ続けてきました。これからも変わらないのです。木に例えるならば、私達夫婦は根であり、根本であるのです。それに連なる娘は幹であり、孫は枝葉であり、花や実として結実していくのです。