2014年6月3日(八段語録2048)

娘へ(3)

 娘として、自分を発見しなければならないのです。日々感謝の気持ちを持つべきです。安定した日々を過ごそうと思えば、罪を犯しながら何事もなかったようにしてはいけないのです。私は十七歳の時、普通では考えられない経験をしました。人生について、深遠でかつ驚くべき人との接触を持ったのです。それが私の師との出会いでした。私は学業を続けながらあらゆる階層の人との出会いを試みたのです。そして新しい自我を発見することを願い、あらしい価値と新しい動機が躍動する決心を持とうと努力し始めたのです。このような決心を持った人生として、汗と涙を流さなければならないと思えたのです。
 娘よ、父が歩んだ道は、悲惨な事もありましたが、今まで滅びていないのです。そして冒険の道へと旅立っていったのです。振り返れば、父としての一生は、刺激に満ちていました。そして故郷に帰っても、闘って勝たなければならないと、心に決めて歩んできたのです。文字通り「拳」で闘ってきたのです。血を流して、傷ついてそれでも紆余曲折の道をゆき、公認される道を歩んできたのです。そのような土台の上に、娘がいるという事を忘れてはならないのです。父の歩みは、娘の橋になっているのです。それほどまでに、愛情を注いてきた人生なのです。
 娘よ、父と母は、絶対夫婦なのです。「性」を汚したことは一度もないのです。それゆえ、今となっては、家の隅の捨てられた石が、重要な石になったと同じ人生を送っているのです。そして、私には、身近に先生がいるというよりは、自分で開拓したのです。それだから、自分自身で先生に仕立てたのです。ある時は、一日中空手の稽古をし続けたことがあります。遊び半分に、行楽気分で稽古をしたわけではないのです。それは、血と汗と涙の稽古なのです。そして、稽古で悟ったレベルを、自分で成し遂げようと努力し、勝利するように闘ってきたのであり、業績として残してきたのです。
 私は、良いもの全て娘に与え続けてきたと思うのです。尊いものを惜しみなく与えたのです。ある意味では、妻を育て、子供達を育てて家門に杭を打ちこまなければならなかったのです。混乱する家庭としてではなく、誰も文句も言われない家庭となるためには、罪を犯した娘であるとするならば、清算する道を歩むように道を開いてきたのです。父として、娘を守る闘いはこれからも続くのです。そしてわが家門を継承してほしいのです。それが父の願いなのです。