2014年6月2日(八段語録2047)

娘へ(2)

 娘とは、親の愛の結実なのです。長女と次女の前後は関係なく、どちらも掛け替えのない娘なのです。どちらの娘も妻との愛の実なので、愛情を注いで、育てなければならないという事になるのです。この娘を守るために、仙台に帰ってきて、家督としての資格を得るために必死に頑張ってきたのです。それがどれほど大変であるかという事は、想像を絶するものがあったのです。特に妻の姑に仕えていく姿は涙ぐましいものがあったのです。理由は、私が十六の時に家を出て、親不幸をしたことに遠因を発しているからなのでした。
 その事も踏まえて、一族として、娘を守る戦いは火ぶたを切ったのでした。私の両親が長男夫婦を公認するかどうかという事にかかっていたのです。その為に、両親の為に生きるという理論を立てざるを得なかったのです。長男として生まれたのは家の為に生まれたという心情が満ち足りていかなければならないと思えたのです。そしていつの間にか、常に両親が助けることができる長子としての地位を不動のものにしたかったのです。この事が、娘を守っていく最大の武器になったことは間違いのないことなのです。それは、愛情でもって両親を包んで守り抜いたという実績に他ならないのです。
 ところで、私は、今まで家庭を築くことに苦労し、家の家督としての道を歩み、極真会館の宮城県本部の代表師範としての道を究め、日本中の支部に配慮しながら、世界を回ってきたのです。そして、その結論とし、家長の道を歩み続けているという事なのです。これからの私の歩みは、天地の大きな事業と財産を相続する長子としての権限を全うすることに精通しようとしてきたことになるのです。それも、途方もない魂という精神を中心として歩んできたのです。魂ゆえに、基盤を築いていくという戦略は、これからの新たな人生の、創造性を中心としてなると確信するのです。
 その守りの中で、娘を伸び伸びとした環境で育てようとしたのです。この事は、父親として責任を持って見出さなければならない事であり、そのための苦労を、敢えて取り組もうとしたことになるのです。私達夫婦は、娘を守るという素朴な戦いに臨んだのです。私達夫婦が娘の「道しるべ」とならなければならないという決意と覚悟を抱くことを心掛けてきたことになるのです。娘を搾取しようとするのであれば、家庭は、うまくいくはずもなく、平和な家庭が生まれるはずもないと確信しているのです。そのような精神を私達は抱こうと思っているのです。家庭が闘争の体制であってはならないと思うのです。ですから、娘の親になるように一心不乱に自己研鑚を心掛けてきたという事なのです。