2014年5月25日(八段語録2046)

欽慕の情

 私の父親が亡くなってから、二年半の歳月が流れました。家庭を持って感じることは、夫婦であるという前に、親を慕う気持ちが大きくなっているという事です。墓参りの大切さを感じつのです。父親が生きている頃は、夜も昼も世の中、いつも安心して出ていったのでした。しかし、今では自分自身にとって、父親がいて初めて、自分の価値があるのだという気持ちにさせられます。父親に向かう思慕の情と欽慕の情が生活を占領してしまいます。「私」の生命の動機が父親にあったのであり、子供の頃、私の希望の一切も親父にあったし、私の全ての理想と幸福の根源も親父にあったと思えるようになっているのです。実に不思議です。
 最近の気持ちは、私の心は、「親父といつもいるような息子である」という信念を抱くようになって、自分という存在意識を超越するほど、しっかりしたものとなっているのです。親父が生きていた時、最後の三年間は、親父を本家の金森家の特別養護老人ホームへ毎週のように、親父を送り迎えしたのです。また、私が仙台に帰ってからは、根白石の畑を二十年の間一緒に耕していました。その思い出が走馬灯のように思い出されるのです。その為に、今父親に何か報いることができ、捧げることができたのかという気持ちにさせられるわけです。そして、父親との血縁関係が連結されているのだと感じてしまうのです。
 自分が親父の息子であると実感する立場が今頃湧いてくるのですから、少し遅いような気がします。親父から愛情を注がれた私が、親父との血縁関係を誇り、それを墓前の前で報告したいという欲求にもかられるのです。それは親父の息子であるという立場に立っているという権威を持つのです。若かりし頃の私には無かった気持ちなのです。親父が二十代の私に会いに来ました。また三十代の私にも会いに来たのです。それは、いつも私を愛情で包んでいたという事に他ならないからだったと思えるのです。
 息子として、親父に対してどれほどの義務を果たしたかというならば、恥ずかしくなるばかりですが、親父の勝利の基盤を相続している今、親父が息子の今後の道を切り開いてくれていたとのだと悟らされるのです。親父が、築いてきた伝統を継承して、発展させるのが今後の私の役割であると感じるのも、今なのです。父親の墓前で、一つの呼吸として、ここに息を吐き出せば、吸い込むことができるように、拍子を親父と一致させて、これからも我が家を守る努力をする生活をしようと思うのでした。