2014年5月23日(八段語録2045)

日々新生

 私としては、人生を、気持ちは高く広い宇宙のように大きな基準を持たなければならないと思うのです。それにもかかわらず、現実は日々の生活に追われているのです。当然、極真空手の指導者ですから、世界を制覇したいという思う欲求があったのです。不思議な事に、人間として、一番高い所に行きたいと願い、大きくなりたいと願うのは、私ばかりではないようです。しかし、私の青春時代を振り返ると、私に対して戦いを挑み、自分の情欲を捨てて、血気を捨てるような歩みをしたのです。もう既に生まれて成長しているにもかかわらず、生まれ変わるような気持ちを持って、人生を過ごしたというのは不思議な事だと思っているのです。
 人間の誕生は、当たり前ですが、男性の精子が女性を経て一つの生命として生まれます。私も母の胎内で準備され、地上に誕生したのです。母の胎内に宿った私の命は、当然親父と母の愛の結晶という事なのです。それだから大切にもされたのです。懐妊させる親父がいて、懐妊しなければならない母がいたという事なのです。親父の骨肉の中に潜在している赤ん坊としての種から、私は出発したという事なのです。そして、両親に大切に育てられ、物心がつくようになったのでした。
 ところで、自分で判断することができるような年齢まで達すると、私の姿勢は、自分を鍛錬し、今の自分でよりも新たな自分を目指すようになったのです。ですから、今の自分を肯定から出発させようとするより、否定から自分を見つめ直すという作業をするようになったのです。極真の稽古でいうならば、繰り返し基本をしながら、絶えず新たな自分を探すという努力をしてきたという事になるのです。あたかも、今の自分ではない自分を見つけるような稽古をしてこなければ、強い新たな自分を成長させることができないように思えたのです。
 人生振り返って、どんなに「良くやった」と誇ったとしても、また自ら建てた金字塔があったとしても、自分自身を否定し、また否定されるべき屍のような気持ちで成長してきたように思うのです。そうでなければ、すぐに傲慢になって、怠けてしまう自分があったのでした。つまり、自分の存在意識を超越するほどに、しっかりとした信念を持たなければならないと思ったのでした。それが、日々新生という事なのだと思ってきたのです。確かに母から生まれましたが、それ以上に、この大地から、「今日も生まれるぞ」という気持ちで過ごす日々であったのです。そして、今も生まれ変わろうとする自分があるのです。