2014年5月17日(八段語録2042)

妻の苦労

 妻は、結構汗を流して、人生を送ってきたのです。こうして極真会館宮城県本部の基盤と森家をもり立てて、天地の大道に連結するように歩んできた人生であると思えるのです。ままた、何事にもしがみつくことなく、愛情を注いて捧げつくしてきた人生であると思うのです。妻と同様に、私も故郷に帰って来て、長男としての役割を果たしてきました。そして、極真会館宮城県本部と森家の行くべき道をあらゆる環境に適合させることができるようにしたのです。
 もう既に私達夫婦の過ぎし歳月は、お互いの信頼によって歩んできた生涯なのです。地域の人に対して誇らしい人生であったと言えることができると思うのです。もちろん、私達夫婦の道は、想像する事が出来ない程、つらい時もありました。そして、すべての基盤をわが家庭と極真会館に連結するまで戦ってきたのです。このような基盤ができるまでは、何とも無理解と困難で耐えられない日々を送ったのです。
 ところで、今日は妻の苦労を話そうという事を思ったのです。とても最初はおとなしそうな人でした。今は、四方にすべて気を配ることができる活動的な妻となっているのですが、私と出会って、そのようにならざるを得なかったのでしょう。実に素晴らしく訓練されたのです。実家に入ったときは、私の母にそうとう叱られて、何度も涙を浮かべていました。その時は、私が抱き留めてあげるだけだったのでした。
 そのような中でも、名前が良かったのだと思うのですが、私の妻は「ちより」というのです。漢字で書くと、「千順」と書きます。名は体を表すと言いますが、この名前が実にいいのです。結果的に、本当に私の母に千回も従順に従ったという事なのです。まさしく嫁としての勝利者であると思えるのです。このように母に訓練されて、今では、地域の母のようになっているのです。
 そして、私に対する影響は、夫婦という暖かな生活を妻によってさせていただいたのです。そして、文化的な背景や習慣を伴って、より向上してきたことになるのです。そして、良き息子・娘に恵まれたのです。この事は、どれほど感謝に絶えないかという事を口で表現することはできないのです。
まさに、妻は、時を知っているかのように、適切に瞬時に物事を片付けていくのです。私の妻にしてはあまりにも出来すぎているということになります。妻は我が家では、棟木のようなものです。家を作るためには棟がなければならないのですが、その基礎的な存在が妻だと思えるのです。そして妻から、芽となることができ、幹となることができる基盤が生れてきているのだと実感するのです。