2014年5月16日(八段語録2041)
自分の心の解放
人生を歩んでみて、今まで達成できなかったすべての基準、すなわちやり残した基準をこれから一つ一つ還暦を迎えて引っ張って解放しなければならないのが、これからの私の役割であります。自ら実行して、私の後を追ってくる弟子や息子に継承させるのが私の立場であるという自覚を持つのです。私が悟るべきことは、自分が追い求めてきた夢を現実世界にいかに実現するかという自覚をするという意識をもつのです。環境がいかに最悪な状態でも、これを克服できる信念と自分の思想を確定させなければならないというのが私の決意という事なのです。
そうすることによって、今日の社会と私の生活において及ぼされる、すべての環境を打開して有り余る気持ちを持たなければならないのです。「私だけは、この世間の問題を解決するのに自信がある」という信念を持つべきであると思うのです。この信念を持たずしては、これからの集大成の人生を過ごすことはできないのです。そのような事を考えると「私」がこの世間と如何に向き合って、実感としての実践理念を打ち立てて、そして決意したその決意が、心の土台となっていなければ、私の人生は閉ざされるし、心の解放は無いと思っているのです。
私が、文章を書き続ける理由は、人間としての理想の基準、愛の基準、生命力と私の家系の血筋の原点になろうとするのです。そして自分の心を解放させようとするのです。自分の心が拘束させ、監獄に閉じ込められているようでは話にならないのです。それゆえに原理原則の歩みを自分が実践して主流としての人生を生きようとするのです。自分の心の解放は、自分自身の運命であり、その事ゆえの人生であるとも思えるのです。それゆえ、希望に飢えたものになろうとするのであり、愛に燃えたものとしての演出をするのであり、更に、実践に実践を重ねようとするのです。
とにかく、私の心の解放が最大の課題なのです。地域を救い、この国の為にならなければならないと思うのです。その為にも、自分の心の解放がテーマなのです。それで、私が地の果てまで、自分自身を伝えて、心情的な絆を結び、杭を打ち込んで、愛情で溶かし切ろうとするのです。私自身を見ると、何でも無いように見えますが、この人生において考えることが違います。思想が違うのです。顔が、体がどうのこうのという事ではなく、考え方が違うのです。お金や権力だけではできない生き方をしようとするのです。すなわち心の解放を絶えず実践するのです。
今日も、四時半起床で、渡辺博先生と街頭に立ち、チラシを配布するとことから一日が始まります。そして、交通指導隊としての時間を一時間過ごし、根白石の畑で、自然に親しみ、農作業の中から、慈しみの心を養い、更に自分自身を鍛えようとするのです。そんな一日を充実させて実践しようというのが今日なのです。実に楽しいのです。そして最高の日なのです。