2014年5月15日(八段語録2040)

親の重み

 人生を歩んでみて、どこに定着点があったかを追い求めると、「親になるという事なのだ」という気持ちになるのです。当たり前の事のようですが、その理想が私の目的の人生という事なのです。親になるという事は、とても大切な事のように思えるのです。どこの家庭でも存在する親が何とも素晴らしく感じるのは私ばかりではないと思うのです。その言葉は実に簡単ですが、その内容は素晴らしいものがあります。親の存在は、絶対的なものであり、過去・現在・未来を連結し統合もしてしまいます。そのような意味では、親になるために、真実に生きていくべく人生を歩まなければならないのだと思うのです。
 当然、人生に結論があるとするならば、良き親になるという事なのです。そうすることによって自動的に良き家庭が生れてくるはずです。ですから、不倫や浮気は理想の親からは離れてしまいます。乱れた家庭を持つとするならば、乱れた関係が広がっていくばかりです。親になるという事は、血筋を正しく伝えることであり、親ゆえに人格が正され、生活も本然の形態に戻り、人生を全うできるのだと考えるのです。普通に夢を語れば、宇宙飛行士に成りたいとか、商社マンに成りたいとかという事なのでしょうが、私の場合、普通の事のように「親」になりたいという気持ちに落ち着くのです。
 ところで、神様がいるとするならば、私という肉体を纏って現れるという信念があるのです。そして、妻をそのような概念で見るならば、尊い存在に思えるし、軽く考えることはできないのです。夫婦で親になるという事は、お金と取り替えることができないのです。もちろん、生命と取り替えることもできないし、大切な栄光の価値を総合した内容であると確信しているのです。私が家庭を営んでいく上で、多くの環境の価値基準を決めていく核心も家庭にあり、その決定は親という事なのです。
 このような事を本気で考えることは、正しい家庭の運営をしたいという私の信念があります。間違った方向へは突き進まないように気を付けているという事なのです。妻も子供達も、私の家庭を誇ることができるようにという気持ちでいっぱいになります。そして親としての私の生活観は、地域の為に生き甲斐を持って尽くしていこうとすることなのです。息子・娘にも地域を愛して欲しいという動機を、わが家庭から持ちたいのです。今日も家庭を安全運転しているように思えます。色々な事故に会わないためにも、冷静に正しく運営できればいいのではないかと思うのです