2014年5月13日(八段語録2038)

自分の求める精神的位置

 世界に影響を与えた団体で、自分がこのような立場にいるという事は、恵まれているという事に他ならないのです。歴史が望む中心、時代が望む中心、あるいは未来が願っている中心を目指せることにもなるのです。それは、世界を目指した極真空手だからなのです。そのような意味では、歴史の願いの結実体にならなければならないし、時代の願いの中心にならなければならないし、未来の願いの出発になるべきであると思うのです。それゆえに、真面目な人間を目指そうとするのです。そうしないと、真面目な人間としての目的も成就できないのです。
 それは、過去・現在・未来まで称えられるような立場という事になります。まさに陳腐ではありますが、それが「親の道」であると思うのです。親として人生を過ごせることは、幸せの中の幸せであるという事です。多くの人が、人生を無意味に過ごそうとしている中で、方向を見つけ、行き場を見つけ、こうして極真会館の責任者として提言してあげることができるという事は、一つの中心的なモデルとしての私の精神的立場であろうと思うのです。このような立場から、多くの弟子たちが、精神的指導者としての実を結び、ここから収拾され、ここから出発できるのです。ですから、ここで私が指導しているという事は有意義な事なのです。
 ところで、そんなに「親」になるという事が素晴らしいことなのかという事を問われると、私は絶対に素晴らしいことであると結論つけるのです。今までの時代において、人々が希望することがどこにあったかというならば、当然未来に在ったのです。希望を未来にだけに求めたのです。人類が、どこに向かっていくかというときに、未来に形成される一つの世界に向かっていくという事であり、未来だけに対して模索したのです。その未来の姿が共産主義でもないし、自由主義でもないのです。そこで私は、親がしっかりいる世界であると言いう事を提言するのです。
 人類は悲惨な歴史を持って流れてきました。しかし、基盤を整備することによりよき世界へと向かう事ができると確信するのです。それは、しっかりとした親の連結であり、絆であると思うようになっているのです。親は現実をしっかり消化して未来につなげていくはずです。大それたことは言わないのです。ただ親として正しく歩むことが人生の目的であり、未来につながる道であると思うのです。今日もよく晴れた一日になりました。五月晴れの清々しい朝です。それだけに、充実した親としての道を精神的位置において歩みたいと思うようになっています。