2014年4月26日(八段語録2036)

戒め

 天地の創造は、当然、①天を作り、②地を作り、そして当然➂人間を創造したと聖書に書いてあります。そのような過程が神羅万象の創造にあるとするならば、人間としてのパターンで①人を愛し、②地を愛し、➂天を愛するというのが理想への戒めであると思うのです。 つまり、理想に向かっていく場合、例えば、工場であらゆる製品を作る時の青写真のように、再び作りなおさなければならないという事が本筋であるとするならば、再び理想に向かっていくプロセスが創造の時と逆のプロセスが戒めであるという事になるのではないかと思うのです。極端ですが、そんな発想が思い浮かぶのです。

 残念ながらイエスキリストは、神を愛すこと、そして隣人を愛すことを解きましたが、付け加えて、自然を愛する事は忘れていたようです。そのような意味では、キリストの言葉に付け加えるべく、自然を愛せよという文言が入ってくるのだと思うのです。それゆえ、三つの戒めを全うするためには、個人が完成できなければ、難しいことであるし、新しく覚醒された家庭が形成されなければ、このような戒律を守ることができないという事も理解することができるのです。

 ところで、私はこの時の全般的な目的を考えると、自分が一人の完成した男性に身を置かなければならないと思うのです。それを標準にして、後輩を指導するような男性を目指さなければ意味がないと思うのです。というのも,私の生活基盤をどのように立てるか。そして生活環や、私が目指す理念は、後輩が見習う標本にならなければならないという事なのです。

 そうしたうえで、天地人全てを愛情で注ぐことができる人生を歩みたいと思うようになっているのです。この年齢になって、日々このような一歩進んだ気持ちの人生を送れることに感謝です。そして更なる人生を邁進していきたいと思うのです。この言葉は、私自身に対する戒めなのです。息子夫婦に世話になるようでは、この理念から外れてしまいます。どのような環境であれ、この三つの戒めのごとく、世話になることなく、極めることができる人生でありたいと思うのです。