2014年4月22日(八段語録2034)

妻を信頼の理由

 人生を歩んでみて、自分の生き様の前に立って考えることは、冷静に判断すべきことが何度もあるという事です。どのような人生であったって、どのような立場であえいできたかを反省すべきことなのです。その人生の位置と方向に、人倫道徳が働いてきたという事は間違いないことなのです。おかげさまで、私は結婚して、妻との絆を大切にして、家庭が存在するのです。つまり、私達の生命と血統を受け継いだ直系の子供達の存在です。このような人生は、何かを頼るという事は無かったのです。また特に要求するという事も無いようでした。

 問題になることは、自分の心身の戦いだったのです。一つにならなければ、夫婦もうまくいかないのです。私が心がけたことは、人間として何を成し遂げるかという事です。ですから、理想に向かって、志を立ててより高い次元の家庭を目指して、一つの目標を達成しようとしたのです。私の人生は、結構、世間的にかけ離れていて、あくまでも世の中の観点とは異なっていました。世の中の言う知識に照らし合わせなかったのです。もちろん、権力が条件に入りませんでした。それは、徹底して、愛情を中心として生き方をどのようにすることが良いかを検討したことになります。

 実に本質的な捉え方であったと我ながら感動するのです。そして、主流としての家庭づくりをしてきたという事になります。それだから、独自の家庭の主流思想まで結びつけて、我が家の家庭の理想を実現することを意識したのです。このような気持ちを形成して、理想的に生きることを目指したのです。もちろん、どの家庭でも、自分達の家庭の意志だという事を決めていくため、複数の生きざまに分かれます。またその意思を中心としますから、多様になるわけです。そして、言えることは、どの家も、希望を成就しようとする過程にあるのだという事です。

 私の人生も終盤にきて、願う事は、さらに私は何をすべきであるかということです。最後の人生の冒険的任務を果たさなければならないようです。今の年齢にしても、冒険的覚悟を持って立ち上がらなければ、人生における任務を果たすことはできないのです。これから、どのような冒険の関門を経て、最後の勝利の旗を掲げ、よき家族であったと思えるようになるのかという事です。ある意味で、超現実的な冒険の基準を立てようと思うのです。自由の中での最高の自由、栄光の中でも最高の栄光、喜びの中でも最高の喜びの位置を立てようとする人生でありたいと思うのです。そのような事を考えて、生きられるにも良きパートナーがいるからだとありがたく思っているのです。

絆を結ぶことができるようにするのです。これが、人々が築き上げてきた、家庭であり、大切に守っていくことなのです。