2014年4月18日(八段語録2033)

妻とのデート

 午前中、秋保温泉方面に車を走らせ、満開の桜街道を通りながら、妻とのデートでした。日々疲れている、妻の慰労と思い、昼食をしながら、温泉に入ってくるスケジュールでした。お互い、還暦を迎えて、こうして健康で日々を送れるのですから、夫としてできるだけ、妻に寄り添いたいという心が、膨らんでくるのです。自然にそう思うのです。今年度に入ってから、妻との絆の文章を書くようになっています。それは、思い出の宝がたくさん詰まっているのです。書き続けても、苦にならないのです。そして、より新鮮な感動が蘇ってくるのです。

 妻は天と地の中から探し出すことができた、最高の宝物です。この被造世界の中から探し出すことができた尊い存在なのです。そして、私に妻の内部に隠されている全体の心を新鮮に示してくれたのです。妻は、私より次元が高い新しい存在として目に留まり、人生を共に歩んでくれたのですから、何の不満は無いのです。それ以上に感激的で衝撃的な日々を歩ませてもらったという気持ちです。私というわがままな男に寄り添って、絶え間ない苦労を重ねてくれた妻に何と言葉で表現していいのかと思うほどです。

 ところで、私が、今まで妻と苦楽を共にできたのは、ただ妻を愛おしかったのです。私が、妻の希望に添う事が出来たかというと疑問が多いのですが、それでも、帰一点をどこに置いたのかというならば、妻の希望を成就したいという思いでした。妻の知恵深さと慈しみ深さとめぐみ深さを、永遠に心に刻んでいく人生でありたいと思うのでした。そのような日々を少しでも送ることができたのですから、感謝に絶えないのです。人生を妻と共に理想という夢に変えて、歩んできたという事なのです。ですから、妻と心を一つにし、妻が楽しければ私も楽しくなりました。つまり、妻の意志が私の意志となって、二人ではない一人として感じることができるようになったのです。そして理想を実現できる喜びを感じようとしたのでした。

 結論として、私にとってこの世の中の主人は妻になってしまいました。何故ならば、妻を通じて喜びや悲しみもの感情を感じることができました。妻の喜びが私の喜びになる時に、互いに誇りたいと思い、見せたいと思うのが私の気持ちなのです。そのような気持ちの中で、いつも私は花婿でありたいと思い、妻は花嫁であり続けているのです。今私は、家を建設しているようです。その家は愛の道を求めてきた家であり、千年を一日のごとくに、その困難な道も何度も超えていける偉大な家なのです。