2014年4月17日(八段語録2032)

変わらなかった夫婦生活

 結婚して、志した事を必ず成就したいと思いながら、日々歩んできたように思うのです。理想を実現し、必ず成功させなければならないと決意したのです。自分の人格を創造あるいは、修理をして、本来的自分の確立を目指さなければ、結婚当初の気持ちを継続できないという気持でした。そうして妻を連結し、子供達と共に歩んだ生活の日々は、振り返ると、忘れることはできないのです。幸いに、私の気持ちは今まで変わらなかったのです。家庭として向かっていく道は、一つだけしかないという思いで走ってきたように思えるのです。もちろん、自分勝手に行き来することができない人生になっていました。

 結婚の志向する目的は、家庭を破綻の渦に追い込むためではなく、家族を妻や子供達を平和の境地に導くためのものだったのです。ですから、平和の終着点に向かって、人生を過ごすべきであると思ったのです。それだから、戦いは凄まじかったのです。

 お蔭さまで、妻と私が二人で結婚を中心に愛し合い、築いてきたことが、どれほど素晴らしいものかという実感もさせてもらいました。そのような圏内に私が包括されて生きる立場、すなわち、居場所がしっかりできたのです。いつも歓迎され、呼吸ができ、自由な立場で暮らせた立場はどれほど良かったかという事です。家庭は無限の世界が伸び縮みし、妻との調和で、脈拍の起源に波動を起こすことができる痛快な場所でした。私は、ある意味で、仕事だけを中心に生きてきたのではないのです。あくまでも家庭の事を絶えず意識しながら、人生を送ってきました。

 そのような意味では、家庭の安定こそ、それに伴って、仕事も趣味もすべて完結できるであろうという人生観なのです。このような計画を立ててきたのだから、仕事に対する熱意がどれほどあったのかは、ちょっと疑問が残るところも正直あるのです。それは、家庭において、夫婦の一致、つまり愛情の一致を理想とする事を実現しようとすることにこだわったのです。だから、私の意志と妻の意志が分離されたならば、大変だという発想なのです。

 そして、最終的には、誰もが認める家庭、天地が公認することができ、永遠の価値を見出すことを願っての生き方という事になるのです。これが、家庭を持ってからの私自身が喜ぶことができる生の価値を見出す道だったのです。妻との出会いに大いなる無限の価値を探し出したというのが私の実感なのです。数多くの女性の中から、尊い人を見つけ出したことになります。隠されていた人を探し出し、感激的で衝撃的な日々を過ごせたという事なのです。それだから、苦労の道もそんなにも感じることもなく歩んできたのです。実感として、力でもって、強制的に引っ張った家庭ではないのです。愛情という目に見えない力で、家庭を営んだという事なのです。